枝野幸男氏が落選後初めて胸中を独占告白「負けたのは足腰が弱っていただけ」「AKB48ならば『チャンスの順番』みたいな境地」

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「色々な人と相談しなければならないし、今後のことはゆっくり考えます。引越しは、昨日議員会館がようやく終わったところ。15年以上慣れ親しんだ職場でしたが、4日以内に終わらせなければならないルールに必死で、感慨に浸る余裕などなかったです」。衆院選から5日後の2月13日、枝野幸男氏が「週刊新潮」の独占インタビューに応じた。33年間守り続けてきた議席を失った時の胸中はーー。

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11期連続当選してきた選挙区で新人相手に敗退

 初当選は1993年。細川護煕氏率いる「日本新党」の公募に応じた。選挙区となったのは旧埼玉5区(大宮市など)で、看板・カバン・地盤、いずれもない裸一貫からのスタートだった。

 それから「新党さきがけ」「民主党」「民進党」と野党を転々。2017年に「中道改革連合」の前身となる「立憲民主党」を立ち上げた。その後、立憲は衆参で180人以上の国会議員を擁する大所帯に発展した。自身は選挙に強く、“往年のライバル”と呼ばれた牧原秀樹法相手に7回連勝の11期連続当選を重ねてきたが、今度ばかりは「高市自民党」に風が吹きすぎた。

 元さいたま市議の新人・井原隆氏に1万4000票差の敗退。敗因は「力不足に尽きます」と振り返る。

「11期連続当選とは言いますが、野田(佳彦)さんみたいに毎回のようにダブルスコアで勝ってきたわけでもない。足腰が弱っていたのでしょう」

選挙中から妻に「引越しになるかもしれない」

 12日間の戦いの最中は、何とも言い難い“気持ち悪さ”に苛まされたという。

「街頭ではいつもと変わらない手応えを感じるのですが、マスコミから出てくる情勢調査の数字は終始厳しかった。終わってから気づいたのですが、国民に分断が起きている最中の選挙で、いつも以上にアツい声援をいただいていた。だから、数の上で負けている実感が湧かなかったのです」

 実際、ビラを受け取ってくれる人は明らかに減っていたという。

「覚悟は決めていましたので、投開票日の4日くらい前に、妻には『引越しになるかもしれない』と伝えていました」

 とはいえ最大の敗因は、突如結成された「中道」から出馬を余儀なくされたことだろう。

 枝野氏は立憲では最高顧問だった立場だが、公明党との合流は野田執行部が決定した。公明党と合流した判断やこれからの中道の展望についていくら尋ねても、「今の執行部に聞いてください」と言うのみで、終始言及を避けた。

大好きな「AKB48」の歌に例えるなら…

 枝野氏と言えば、カラオケでAKBソングを熱唱する、アイドル好きで知られる。今の気持ちを好きな曲で例えてくださいと向けると、

「AKB48の名曲『チャンスの順番』ですかね」

 忙しくてなかなか行けなかった『坂道』のコンサートを6月に観にいく予定で、楽しみにしていると笑った。

 なぜ枝野氏は今の心境を“AKB48の名曲”になぞらえるのかーー。

 2月19日発売の「週刊新潮」では、枝野氏が、28年間連れ添ってきた妻から落選後に言われていることや政治家を引退してジョブチェンジする可能性、高市早苗首相に対して思うことなどを特集2ページで独占告白している。

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