「あの日を境に、竹下の空気が変わりました」 元総理夫人が振り返った「昭和天皇が倒れた日」秘話

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「あの日を境に、竹下の空気が変わった」

 同じ頃、東京・代沢の竹下登首相の私邸にも多くの記者が集まっていた。対応に出た秘書は、

「(陛下についての)連絡は入っていない。総理はすでに休まれている」

 と答えたが、実は竹下首相は早い段階で報告を受けていたのである。

「午前0時頃、“陛下、吐血”という情報が入ってきました。間違いない話だったので、急いで総理に連絡しました」

 とは当時の総理大臣秘書官・上野治男氏(67)。

「“総理、天皇陛下が吐血されたそうです”と報告すると、首相は“ウン聞いている。藤森さんから電話があった”と言われたんです。すでに長官から報告があった後でもあり、慌てた様子もなく、陛下の吐血という辛い事態を受け入れて、一国の総理として冷静に対応されているような、重みのある声だったと記憶しています」

 一報を聞いた瞬間から竹下首相の表情は変わった、というのは竹下元総理夫人・直子さん(82)である。

「あの日を境に、竹下の空気が変わったと思います。緊張感とでも言うのでしょうか。自宅に戻ってからも張りつめた気持ちが解けないようでした。毎日午後8時に必ず藤森長官からご病状について連絡がありましたが、その電話が終わるまで大好きなお酒も飲まず、食事の時間も遅らせていたんです。毎晩8時になると“あ、電話だ!”といって、緊張した表情になりました。皇居から30分以上離れた所に行くのも控え、ゴルフも行かず、土日も家で過ごすようになりました」

夜明けを待たずに駆けつけた皇太子夫妻

 一方、小渕恵三官房長官に逐一報告を上げていたのは、首席参事官の古川貞二郎氏(74)である。

「当時私が住んでいた首相官邸裏の公舎に記者たちが押しかけて来て、それを知りました。宮内庁側との内閣の窓口は私でした。日付が変わってから、宮内庁で正式に報告をうけ、小渕長官に連絡しました」

 午前2時24分、皇太子夫妻の車が皇居に到着する。高木侍医長から、〈「すぐおいでになられる必要はございません。夜が明けてからの方がよろしいでしょう」〉(前出『昭和天皇最後の百十一日』)との連絡は受けたが、夜明けを待たずに駆けつけていらしたのだ。

 午前3時。宮内庁次長から、初めて正式発表。

「天皇陛下は、昨晩10時前吐血遊ばされ、輸血などの緊急治療を行った。落ち着いた状態である」

 遅れること12分。小渕官房長官は、「陛下のご容体は落ち着いている。政府としては事態の推移を見守り、特段の対応は考えていない」と政府見解を公にした。

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