「他人を悪く言うことは生涯なかった」 小沢一郎氏の元秘書・石川知裕氏 妻で衆院議員の香織氏が明かす“生き様”【追悼】
物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は9月6日に亡くなった石川知裕氏を取り上げる。
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【写真を見る】華やかな披露宴会場で… 石川知裕氏と妻・香織氏
雑巾がけから
民主党が政権交代を果たして間もない2009年、民主党の衆院議員、石川知裕氏は急に注目を浴びる。
小沢一郎衆院議員の資金管理団体「陸山会」の04年の政治資金収支報告書記載に虚偽があると報じられ、その当時、小沢氏の秘書で経理担当事務の任にあった石川氏が矢面に立たされたのだ。
自らにやましいものはないと平然と構えていたが、10年、政治資金規正法違反で東京地検特捜部に逮捕される。検察の最終的な狙いは小沢氏だった。逮捕から保釈まで20日ほど拘置所暮らしを経験した。
長年親交の深かった、立憲民主党の衆院議員、松木謙公氏は振り返る。
「保釈の出迎えに行った際、“本当に困りました。検事に責められて意味が分からなかった”と石川君が私に最初に発した言葉が印象に残っています。不器用で誠実、威張らない男でした」
1973年、北海道足寄(あしょろ)生まれ。函館ラ・サール高校から早稲田大学商学部に進み、政治サークル「鵬志会」に入る。小沢氏が出馬した新進党の党首選でのボランティア活動が縁で小沢事務所から声がかかった。
96年、都内の小沢邸で住み込みの書生生活が始まる。「虎の穴」のような環境で、雑巾がけに始まり05年まで9年余り秘書を務めた。
同年の衆院選に民主党公認で出馬するも落選し、07年、繰り上げ初当選。09年に再選したが逮捕で暗転。起訴されると民主党を離党し、無所属で議員を続けた。
「政治の流れで起きただけ」
11年、聖心女子大出身でBS11のアナウンサーを務めていた11歳年下の香織氏と結婚。披露宴で小沢氏は「私としては新郎に必要以上の苦労をかけた」「大きな荷物を背負わせてしまっています」と“祝辞”を述べた。
12年の衆院選に新党大地から出馬、比例で復活当選。裁判中でも支持を得ていたが、2審でも判決は覆らず議員辞職を決意。14年、最高裁で有罪判決が確定した。17年の衆院選に妻の香織氏が立候補を決意したのは、石川氏が執行猶予期間中で出馬できなかったためだ。
現在も立憲民主党衆院議員の香織氏は思い返す。
「政治の流れの中で起きただけ、と他人を悪く言うことは生涯ありませんでした」
1男1女を授かっている。
「保育園や小学校の行事に気にせず出かけ料理も作る。子供に歴史上の人物の話をする時、この名前の“郎”は小沢一郎の“郎”だと説明していたこともあります。師と仰いでいる様子は変わっていません」(香織氏)
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