菅総理とは“格が違う” 官僚たちの心を掴んだ歴代総理の「殺し文句」

国内 政治 2020年12月18日掲載

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歴代総理の「人心掌握術」とは

 菅義偉総理大臣が、官僚を掌握する力に長けている、という見方は官房長官時代からよく示されていた。

「菅氏の力の源泉は、人事権を駆使した官僚掌握と、独自に張り巡らした情報網だ」(共同通信2015年5月9日)

「休日も首相官邸近くのホテルに官僚を呼び出し、『あの案件はどうなっているのか』と質問を連発することも。独自の情報網と人事権を通じて中央省庁を掌握。能力を見込んだ官僚は自身のそばに置いて重用してきた」(時事通信2020年9月2日)

「官房長官として人事権をテコに霞が関を掌握」(読売新聞2020年9月9日)

 要するに人事権を武器にして、官僚を動かしていた、というのは衆目の一致するところである。これは本人も隠していない。

 菅総理の著書『政治家の覚悟』には、「改革を実行するためには、更迭も辞さない」という一文があるくらいだ。

 もっとも、これをもって首相が官僚を恐怖で支配していた、と断じてしまうのは少々アンフェアかもしれない。実は同書で菅首相は繰り返し、日本の官僚は優秀であり、一度政策を決めると強力に推進する、といったことを述べている。

 とはいえ、休日も平気で部下を呼び出す上司が強い人事権を持っているというのは、部下にとって気が休まらないであろうことは想像に難くない。

 こうした菅首相とはまったく別のアプローチで官僚たちの心をつかんだ首相も存在している。

「大臣室の扉は常に開けておく、上司の許可はいらん」

 田中角栄だ。

 その人心掌握に関するエピソードを『ザ・殺し文句』(川上徹也・著)をもとに紹介してみよう(以下、引用は同書より)

 田中角栄は44歳の若さで大蔵大臣(当時)に就任した。この時、大蔵省の講堂でなみいる大蔵官僚たちに向かってこんなスピーチをおこなった。

「自分が、田中角栄である。こ存じのように、わたしは高等小学校卒業。

 諸君は全国から集まった秀才で、金融財政の専門家だ。

 しかし、棘のある門松は、諸君よりいささか多くくぐってきている。

 しかし、今日から諸君と一緒に仕事をすることになるのだが、わたしは、できることはやる、できないことは約束しない。

 これから、一緒に仕事をするには、お互いをよく理解することだ。

 今日から、大臣室の扉は常に開けておくから、我と思わん者は誰でも訪ねて来てくれ。上司の許可はいらん。仕事は諸君が思うように、思いっ切りやってくれ。

 しかし、すべての責任は、この田中角栄が負う。以上」

「高等小学校卒業の大臣」だとたかをくくっていた大蔵官僚たちは、このスピーチで表情が変わったという。タダものではない、と認識したのだ。

 また、新人の入省式のときには、大臣室で待つ20名の新人官僚の前に現れると、並んだ一人一人と握手をしながら「やー〇〇君、頑張りたまえ」と全員の名前を間違えずに呼びかけていった。メモも見ず、秘書官が耳打ちしたわけでもない。

 あらかじめ20名全員の顔と名前を覚えていたのだ。これには最難関の試験をくぐりぬけてきたエリートたちも度肝を抜かれた。

実務の中心にいる「課長、課長補佐」を重視

 加えて新人に対しては、以下のような訓辞をして、一瞬で彼らの心をつかんだという。

「諸君の上司には、馬鹿がいるかもしれん。諸君の素晴らしいアイデアが理解されないこともあるだろう。そんな時は俺が聞いてやる。迷うことなく大臣室を訪れよ」

 田中蔵相は官僚の中でも特に課長、課長補佐という実務の中心にいる世代を重視した。

 官僚の力が今よりはるかに強かった時代、次官や局長では自分の言うことは聞かないだろうという読みからである。

 課長や課長補佐の入省年次、学歴、誕生日、家族構成、奥さんや子供の誕生日や結婚記念日まで細かく調べあげた。これと思う人材は自宅へ呼んで大蔵省内部の事情を聴き、実務の内容をくわしく尋ね、高価なお土産をもたせた。また結婚記念日、子供の入学などにもこまめに祝儀を贈った。

 こうして課長たちは、次第に田中に信頼をよせるようになり、省内の細かな情報さえも報告するようになった。

 そのため、田中蔵相は、次官や局長などから説明を受ける時、「ここはおかしいんじゃないか」と事前に課長たちから得た情報を元にやり返したという。次官や局長は現場のことをすべて把握している訳ではないので、答えに窮してしまうこともしばしば。

 こうして結局は、次官や局長たちも田中に一目置くようになったのである。

 情報を武器にしているという点は、菅総理も田中蔵相も共通している。しかし、その使い方は随分異なるようにも見える。

次第に支持を増やした「小渕恵三元総理大臣」

 前述のスピーチに代表される田中角栄の「殺し文句」の力を高く評価している、著者の川上徹也さんに、改めて話を聞いてみた。

「田中角栄は、結果的に『相手のプライドをくすぐる』ことに成功していたと言えます。大臣が自分の名前を憶えていて、いつでも部屋に訪ねてきてくれと言っているのは官僚たちにとっても、プライドが満たされることだったでしょう。

 決して偉ぶらず、下手に出ていたのも効果的だったと思います。

 田中角栄に限らず、昔の政治家にはこういう姿勢を示すのに長けた人がいました。

 たとえば大正時代の総理大臣、原敬。

 総理になった原の元には、毎朝数十人もの陳情客がやって来ました。順番に面会していくのですが、朝一番の客には必ず次のように語ったそうです。

『君の話は、いの一番に聞かねばならんと思ってね』

 一方、最後まで待たせた客には、

『君の話はゆっくり聞かなければならないと思って、最後までお待ちいただきました』

 もちろん、本当は客の方も単に順番に会っていることくらいは承知していたでしょう。それでもこのように言われれば悪い気はしません。

 比較的最近では、小渕恵三元総理大臣も、相手のプライドをくすぐるのが上手でした。

 のちにブッチホンと呼ばれるようになった、本人が著名人などに直接電話をかけるという行為もそのひとつです。

 新聞や週刊誌に自分の事を悪く書いた記事が出た際、普通であれば、怒るか無視するかですが、小渕さんは、わざわざ記事を書いた記者に電話して、『励ましてくれてありがとう。参考にします』『反省して頑張ります』などと言ったといいます。

 記者も総理から電話がくれば驚きますし、プライドがくすぐられます。結果として、ついつい批判をゆるめてしまうのが人情というものでしょう。

 就任直後は『冷めたピザ』『凡人』などと酷評されたのに、次第に支持を増やしたのは、こうした人柄が関係していたと思います」

 菅内閣の支持率は政権発足直後こそ高かったが、新型コロナ対応の姿勢や発信力の弱さで低下傾向に歯止めがかかっていない。

 それはとりもなおさず、総理の官僚掌握能力が、国民のために発揮されていると感じる人が少ないからかもしれない。

 総理は先人の例をどのくらい学んでいるのだろうか。

デイリー新潮編集部