「浴衣でお酌、自宅にアポなし訪問」ヤバすぎる職場ハラスメント――松本清張が描いた昭和女性の孤独な闘い

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 クリームソーダやプリン・ア・ラ・モード、サンリオの懐かしキャラクターに写ルンです……若い女性の間で昭和レトロがブームとなっているが、実際の昭和は一人で生きようとする女性にとって過酷な時代でもあった。

 社会派ミステリの巨匠・松本清張は「セクハラ」という言葉が生まれる20年以上前に、小説『美しき闘争』で若い女性が職場で次々セクハラに見舞われるさまを描いている。松本清張の書く女性に注目するエッセイストの酒井順子さんはこの小説をどう読んだのか。酒井さんの新刊『松本清張の女たち』から一部抜粋してご紹介しよう。

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 セクハラという言葉が存在しない時代に、セクハラをテーマとして清張が書いた作品、それが『美しき闘争』である。昭和37年(1962)に、京都新聞等の地方紙数紙に連載されたこの小説の主人公は、24歳の井沢恵子。姑(しゅうとめ)との仲が険悪となり、恵子が夫と離婚したところから、この小説は始まる。

 一人で生活していかなくてはならなくなった恵子は、かつての知り合いである女流作家(当時の言い方です)の梶村久子の家を訪ねた。その情夫らしき評論家の大村の紹介で、とある女性週刊誌の契約記者として、恵子は働くことになる。

 この小説が書かれた当時の日本は、多くの週刊誌が乱立する週刊誌ブームとなっていた。ブームの中で生き残るべく、なりふり構わず部数を稼ごうとする週刊誌の醜悪さを、清張はこの小説の背景として用意した。

 恵子は、週刊誌の仕事をすることになった途端に、セクハラの嵐に翻弄される。まず、梶村久子の情夫である大村は、恵子と初めて会った瞬間から彼女のことを気に入り、どうにかモノにしようと画策する。何かというと恵子のアパートに訪ねて来るなど、彼女に迫り続けるのだ。

 電話が無い家がまだ多かったこの時代、家への訪問は今よりもカジュアルな手段ではあった。とはいえ独身女性の家に男性が突然行くというのは、当時としても非常識な行動である。一人暮らしの女性はこの時代、まだ特殊な存在だったのであり、狙われやすい状況だったのだ。

独りで生きるには我慢しなくてはいけない

 恵子を狙っているのは、大村だけではない。週刊誌編集部の上司たちもまた、彼女を毒牙にかけるべく、画策していた。

 恵子が契約記者になって早々、雑誌の編集方針はエロ路線へと変わってしまう。恵子には、通常は男性記者が行うピンク・ルポが割り当てられることに。熱海まで行くと、派手な格好をして、旧赤線地帯をしゃなりしゃなりと歩くようにと指示される。偽娼婦となってルポを書け、というのだ。

 こんなことをしなくてはならないのも、離婚して一人で生きていく身だから。他の仕事を探したとて、同じような不満が湧いてくるだけに違いない。……とうなだれた恵子は、

「こうして、永久に自分に気に入るような職場は発見されないで、独身女は荒涼とした職場に老いてゆくほかはないのである」

 との思いを噛みしめる。

 何とか偽娼婦体験をこなした恵子は、旅館に戻ってから風呂場へ。風呂から上がると、熱海に来るはずではなかった上司の前川と社長の竹倉が、恵子の部屋に上がりこんでいた。浴衣(ゆかた)姿の恵子に酌(しゃく)をさせ、酒を飲み始める二人。恵子は浴衣を着替えたいと言うが、前川たちは、

「井沢君も社で見るのと、こういう座敷で着物を着ているのとでは、まるっきり女っぷりが違いますね。ずっと若やいで色っぽく見えますよ」

 などと典型的なセクハラ発言を連発する。恵子は、

「会社では上役が女事務員によく酒の相手をさせると聞いていた。恵子自身はもう若いとは思っていなかった。小娘のように騒ぐほうがみっともないと思った」

 と、我慢するのだった。

「NO」と言う難しさ

 24歳の女性の、「もう若くないのだから、騒ぐのはみっともない」という思考は、今の若者には理解不能なものであろう。現代であれば、

「それ、セクハラですよ。会社のハラスメント相談室に言ったら一発アウトですから」

 などと言うことができようが、当時は何がアウトで何がセーフという基準は存在しない。ましてや恵子は新入りかつフリー同然の身であり、社長や上司の要求を言下に拒否することができなかった。

 たとえ正社員であっても、恵子のような女性は当時、少なくなかったことだろう。「女とはそういうもの」という常識の中で、

「いえ私、お酌はできませんので」

 などと拒否できる女性が、どれほどいたことか。

 昭和の女性たちは今、

「私たちが若い頃、男性たちに『NO』と言うことができなかったから、今の世にセクハラが残り続けてしまった」

 と自己批判をしているが、彼女たちが「NO」と言うことがいかに難しかったかを、『美しき闘争』は示している。

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