「定年は30代」「34才で長老」結婚退職が“常識”だった時代 松本清張が見抜いていた昭和企業の“女性使い捨て”構造
「女性の定年は20~30代。結婚したら専業主婦になること」社会全体がそう推奨していた時代に、松本清張は独身のまま働き続ける女性会社員=オールドミスを描いた。
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彼女たちの置かれた状況は、そのまま当時の企業を批判するものとも読める。女性が企業で定年まで働ける道はどうやってできてきたのか。酒井順子さんの新刊『松本清張の女たち』より、一部抜粋してお届けしよう。
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松本清張作品には社会で働く女性が数多く登場するが、彼女たちがどのような仕事に就いているかを大別すると、
(1)水商売
(2)ファッション、アート、マスコミ関係
(3)会社員
ということになる。
(1)は、おそらく清張作品の中に最も多く登場する、“働く女”である。男性の裏の顔、真実の顔を垣間見る機会の多い職業ということで、主役・脇役を問わず、水商売の女性は清張作品で大いに活躍した。
(2)は、女性誌で連載された作品にしばしば登場した女性たちである。自身の才能や興味を生かした専門的な職業に就いて、男性と同じように仕事をする女性は、当時はかなりの少数派ではあった。華やかな職に就くキャリア女性を女性誌に登場させることによって、清張は読者の憧れや希望を刺激しようとしたのだろう。
(1)と(2)に関しては、その存在感自体は、当時と現代とで、さほどの違いは無いように思われる。(1)(2)は共に、女性にとっては古典的な職業。男性のお相手を仕事とする女性も、また芸術、文筆といった分野において才能を発揮して生きた女性も、昔から存在していた。
対して大きく変化しているのは、(3)の立場である。会社員は、近代になってから日本で見られるようになった職業。特に女性の会社員の登場は男性よりも遅く、数も少なかった。
清張作品には、編集者や新聞記者など、企業に属して男性と同じように働く女性会社員も登場する。しかしその手の女性は、自身のしたいことを明確に持っているという意味で、会社員ではあるが、(2)のタイプ。
それよりも清張作品で個性を発揮するのは、事務職、タイピスト、電話交換手といった、補助的業務を担う女性会社員群である。戦後の日本企業は、軍隊的なメンズ・クラブ感覚を持っており、女性会社員に与えられたのは、男性の補助をする銃後的な役割だった。そんな女性会社員は戦後、「サラリーガール」「ビジネスガール(BG)」などと言われるようになる。この時代、「デパートガール」「バスガール」等、働く女性はあくまで「ガール」であることが期待されていたのだ。
昭和39年(1964)の東京オリンピックが近づいて、「BGという言葉は、英語では売春婦のことを示すらしい」という説が出てくると、「BG、いかがなものか」との声が強まるように。昭和38年(1963)には「女性自身」誌上において新しい名称の公募が行われ、「OL(オフィスレディ)」という言葉が一般的に使用されるようになった。
男女雇用機会均等法が昭和61年(1986)に施行されると、女性会社員は、男性と同じように働く総合職と、補助的業務を行う一般職(事務職)とに分けられ、総合職女性は、「私はOLではない」との意識を持つようになる。しかし昨今は、一般職と総合職の線引きを無くし、女性も全員、総合職的な立場で採用する企業が増加。「OL」という言葉を耳にする機会は減りつつある。
女性事務職員の不毛と悲哀
時代によって迷走している女性会社員の立場だが、清張の時代は、まだ男女雇用機会均等法も施行されておらず、男性と同じように働く総合職系の女性は一部マスコミ等を除き、ほとんど存在していなかった。
清張作品に登場するオールドミス(当時の言い方です)たちは皆、企業で働く事務職の女性である。どれほど長く勤めようとそのキャリアは会社から評価されず、歳をとるほどに会社では居づらさが増していったのが、当時の女性会社員。清張のオールドミスもの小説で彼女たちは、そんな状況の中で何とか自分一人で生き抜く道を確立すべく、社内金融業に精を出したり、会社の金を横領してバーを始めたりしていたのだ。
オールドミスもの唯一の長編『ガラスの城』には、女性会社員が置かれた不毛な環境が、たっぷりと書かれている。
「しょせん、女子社員は男子社員の事務補助にすぎない。いつまでたっても同じ仕事のくりかえしである。あたえられる仕事に希望も進歩もないし、もとより栄転もない」
「どんなに仕事ができても、主任にさえなれない。女子は結婚までの期間だと、会社自体がきめているようである。けれども、いつのまにか婚期をのがしている女子には、会社のこの待遇もまたさくばくとした砂地である」
「女子は会社にながくいればいるほど男子社員からの軽蔑と冷視がくわえられる。男子社員たちのほとんどは、たえず女子社員が交替するのをのぞんでいるのだ。かれらは女子社員の顔がたびたびかわって、いつも若く新鮮であってほしいとおもっている」
といった文章からは、当時の女性会社員が置かれた状況が伝わってこよう。
定年まで働くことを夢見て
『ガラスの城』に登場する二人のオールドミスの一人である郁子は、タイピストである。大正初期に和文タイプライターが登場した時、タイピストはハイカラな職業として認識されるようになった。男性ばかりの職場で女性がタイプライターを打つ姿に新鮮な輝きを感じた男性が多かったようで、彼女たちは「職場の花」とも言われていた。
やがてタイピストは、女性の仕事として定着するようになる。昭和の末期にワープロが普及するまで、タイピストは企業で活躍していたのであり、長編『霧の旗』の主人公である桐子も、高等学校卒業後にタイピスト養成所に入り、技術を習得したのち就職している。当時は半年ほどでタイプ技術が習得できるタイピスト養成所が数多く存在していた。
短編「鉢植を買う女」もまた、楢江(ならえ)というタイピストが主人公のオールドミスものである。楢江が若い頃、彼女の部署には三人のタイピストがいたが、楢江以外の二人は器量が良かった。若い男性社員たちは、何かというとタイピストのスペースへ来ては話をしていくのだが、目当ては楢江以外の二人。やがて二人は結婚し、独身の楢江だけが会社に残り続けた。
この作品には注目すべき記述がある。楢江は終戦前から勤めていたので「女子の新しい定年制度にも彼女は牴触しない」のであり、「男子社員と同じように五十五歳までは頑張れる」とされているのだ。
今は60歳の定年が一般的だが、この小説が書かれた昭和36年(1961)当時、定年は55歳という企業が多かった。またこの頃は、男性よりも女性の定年年齢を低く設定する企業が、珍しくなかった。男性の定年が55歳であるのに対して女性は50歳であったり45歳であったり、はたまた30代、20代という会社も存在していたのだ。
楢江の会社も、女性の定年年齢は、男性より低く設定されていたのだろう。しかし彼女は、戦争中の男性が少ない時期に入社していた。彼女にはその頃の制度が適用されていたために女子の新しい定年制度もすり抜け、女性社員としては社内最年長者となって、55歳の定年まで勤めることを目指していたのである。
とはいえ、楢江はまだ34歳。当時は、結婚したら会社を辞める女性がほとんどだったので、34歳でも十分に長老感が漂ったものと思われる。
オールドミスに投影された企業批判の声
結婚と同時に会社を辞める結婚退職については、それが就業規則等で決められている会社もあれば、入社時に約束をさせられるケースもあった。昭和40年(1965)に労働省が企業に行った調査によると、規則として定められているわけではないが、慣行として結婚したら会社を辞めざるを得ないという会社が、半数近く存在している。会社側からの無言の圧力、そして皆が結婚退職するので自分もそうせざるを得ないという同調圧力によって、結婚後は勤め続けられない空気が醸成されていたのだろう。
中には、就職は夫探しのためと割り切り、結婚退職する気まんまんのタイプの女性もいたようだ。しかしこの時代に結婚して仕事を辞めた女性の一人である私の母は、
「本当はもっと仕事をしたかった」
としばしば言っていた。母親と同世代の女性たちの話を聞いても、喜んで結婚退職した人ばかりではないのであり、彼女たちはやがて、「私は働きたくても働けなかったのだから、あなたは頑張って働きなさい」と、娘たちの背を押すことになる。
当時の日本企業は、このように若い独身の女性社員を、短いサイクルでどんどん入れ替えたいという意思を持っていた。女性が結婚後も勤め続けることがないように、「結婚以外の理由で退職する女性は、退職金を減額する」といった制度を持つ企業も存在していたのだ。
オールドミスの楢江はそのような制度に縛られることなく、55歳の定年を目指していた。社内で小金を貸すというサイドビジネスもしていた彼女が夢見ていたのは、定年後にアパート経営をすること。
清張の時代のオールドミスたちは、このように「早く辞めろ」という周囲からのプレッシャーや、男女差の大きい社内制度、はたまた男性社員の冷たい視線と闘いながら、会社に勤め続けていた。不器量であったり守銭奴(しゅせんど)であったりと、清張はオールドミスたちのことを決して優しく描いたわけではないが、しかし女性が働いて自立することに対して、否定的なわけでもない。オールドミスたちの声は、当時の企業に対する鋭い批判の声ともなっているのだ。
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