昭和・平成の名時代劇を手がけた殺陣師「菅原俊夫」さん 人生を変えた「美空ひばり」の一言

  • ブックマーク

 ペリー荻野が出会った時代劇の100人。第35回は先月亡くなった殺陣師の菅原俊夫(1940~2025)だ。現代劇ではあるものの映画「蒲田行進曲」の殺陣シーンは彼が指導した。もともとは斬られ役だったという菅原がなぜ殺陣師になったのか、生前、荻野氏にじっくり語っていた。

 ***

 8月31日に84歳でこの世を去った菅原俊夫は、長寿シリーズ「水戸黄門」「大岡越前」(共にTBS)や深作欣二監督の映画「柳生一族の陰謀」「魔界転生」など、昭和から平成にかけての名時代劇を手がけた殺陣師である。

 キャリアの始まりは時代劇の俳優だった。

 昭和15(1940)年、新潟の農家の7人兄弟の真ん中に生まれた菅原は、中学時代、中村錦之助や美空ひばりの映画に熱中。昭和36(1961)年、つてを頼って東映の京都撮影所に俳優として入った。

 仕事は斬られ役。当時、俳優部には400人もの先輩がいて、スターと画面に映るのは一握りのベテランだけだった。菅原は入ってすぐから1カ月くらい、道場で朝9時から夕方5時まで殺陣の基本を叩き込まれる。しごかれて足がパンパンになって、和式トイレではしゃがめないくらいだったという。しかし、親に反対されて出てきた手前、故郷には帰れない。そんな覚悟で奮闘した結果、菅原は時代劇で活躍する殺陣の精鋭集団「東映剣会」に入ることができた。

 撮影所では常に10本ほどの作品が並行して製作されていた。新人俳優は徹夜も多かったが、憧れのスターたちの芝居を目の当たりにできるのは最高の喜びだった。

名優たちの太刀さばき

「東映のチャンバラは明るく派手と言われます。スターを華麗に見せる独特のスタイルです。それでも『旗本退屈男』の市川右太衛門さんの舞のような華やかさと、片岡千恵蔵さんのバサーッと斬るどっしりとした立ち回りでは違いがある。テレビの『素浪人 花山大吉』(NETテレビ)で人気になった近衛十四郎さんは、息子の松方弘樹さんともども長い刀を使いこなし、立ち回りはダイナミック。月形龍之介さんは刀を引き抜くとき、抜き切った瞬間、ふっと手首を下げて刀の重さを表現する。この動きひとつで竹光が本身に見えるんです。みんなカッコよかった」

 なかなか目が出ない菅原に大きな幸運が舞い込む。美空ひばりとの出会いである。昭和の映画全盛期、「べらんめえ芸者」シリーズや「ひばり・チエミの弥次喜多道中」など時代劇だけで1年に10本以上の主演作が封切られたひばりは、菅原を「菅ちん」と呼んで気さくに声をかけ、時に祇園へのお供にもした。トップスターのひばりがつけた「菅ちん」のニックネームはすぐさま撮影所全体に伝わり、先輩からも一目置かれるようになった。

 やがて新しいメディアであるテレビも少しずつ撮影所に入ってきた。菅原も俳優としてモノクロのテレビ時代劇に出演している。

次ページ:映画からテレビへ

前へ 1 2 3 4 次へ

[1/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。