昭和・平成の名時代劇を手がけた殺陣師「菅原俊夫」さん 人生を変えた「美空ひばり」の一言

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なんでもありの「影の軍団」シリーズ

 ご老公にお供する助さん、格さんも多くの若手俳優に引き継がれてきた。彼らの殺陣にも変化があり、アイデアが取り入れられている。

「第1シリーズで助さん(杉良太郎)と格さん(横内正)は人を斬っています。しかし、シリーズを重ねる中で悪人を峰打ちにするようになった。どうしても助さんが目立つので、格さんには独特のカラーを持たせています。格さんは刀の立ち回りだけでなく素手で拳法を使ったり、六尺棒などダイナミックな得物で戦うこともある。助、格がなるべく同じことをしないのも大事でした」

 その後、菅原は代表作ともいえるシリーズを手がける。海外の映画人にも影響を与えた千葉真一が率いる「影の軍団」シリーズ(関西テレビ)である。千葉は菅原の殺陣師デビュー映画「東京―ソウル―バンコク 実録麻薬地帯」(1973年公開)の主演俳優だった。

「影の軍団」は、火薬あり、水あり、時にスキーまで駆使しての外連味たっぷりの忍者アクションで話題となり、シリーズは昭和55(1980)年の第1弾「服部半蔵 影の軍団」から昭和60(1985)念の第5弾「影の軍団 幕末編」まで続いた。

俳優を活かした殺陣

「これまでと同じことをやったら、ほかの忍者作品には絶対に勝てないと思った。だから思い切ったこと、たとえばトランポリンも使いました。はじめは非難もされましたよ。どんなことでも新しいことをすれば、いろいろ言われるのがこの世界。制作の関西テレビさんが理解してくれたのは助かりました。でも、しばらくしたらトランポリンはみんな使い始めて、当たり前になってきた。みんながやったら俺はやらない(笑)。また新しいことを考える。その繰り返しでしたね。水あり、雪あり、空中あり、なんでもアリのこういう作品ではスピード感が大事。ただし、速ければいいというもんでもない。スピード感がありすぎると動きが流れてしまって印象に残らない。緩急の加減が難しいんです。とにかく今週やったことはもうできない。常にアイデアを出し続ける必要があった。このシリーズだけは、正直、しんどくてもう辞めようと思ったこともあります」

「影の軍団」のレギュラー軍団員には美保純、中村晃子、池上季実子ら女優陣のほか、橋爪功、石田純一ら時代劇アクションには不慣れな俳優もいた。

「立ち回りが得意じゃない人は、まあ、人間力で仕事というのかな(笑)。石田さんも人柄がいいからみんなでカバーするんです。三手以上の複雑な動きは無理という人もいるから、一手、二手の少ない動きで彼の存在感を出すのが僕らの仕事になってくる。忍者の場合はからくり屋敷とかセットも独特だから、スタッフは大変なんですが、その場でその俳優を活かした殺陣を考えるのは楽しかったね」

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