【べらぼう】子だくさんの「オットセイ将軍」家斉 厳格な松平定信と相性は最悪だったのか

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水と油の老中と将軍

 天明7年(1787)6月19日、松平定信(井上祐貴)が老中、それもいきなり首座に就任した。田沼意次(渡辺謙)を蛇蝎のごとく嫌う定信が老中首座になったということは、いうまでもなく、田沼時代の完全な終焉を意味した。定信は江戸城本丸御殿の黒書院で、以下のような演説をした。

「田沼病は恐ろしい病だ。人の心を蝕み、やがてそれは世の成り立ちさえ脅かす。これを治すための薬はただ一つ、万民が質素倹約を旨とした享保の世に倣うことである」。

「享保の世に倣う」とは、定信の祖父にあたる8代将軍吉宗の治世を模範にするということだ。...

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