「バカヤロウ! お前は“裕さん”でいい」 戦後最大のスターが「カルーセル麻紀」にやきもちを焼いた日

  • ブックマーク

 夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さん。これまでの取材データから、俳優、歌手、タレント、芸人……第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第33回はカルーセル麻紀さん(82)。あの昭和の大スター、石原裕次郎さんとの秘話を紹介します。

「君は日本人の心を持っているのか」

 四半世紀も前のことになる。

 石原裕次郎(享年52)の日活時代の映画のポスターや写真などを展示する展覧会が、横浜のデパートで開催されることになっていたが、直前にドタキャンになった。その背景や理由を記事にしたら石原プロモーションから電話があり、どうしてこんな記事を書いたのかと激怒された。

 その結果、呼び出され、翌日に東京・調布の石原プロモーションに向かった。応接室には「小正」の愛称で親しまれた名番頭の小林正彦専務や展覧会を企画した日活の役員ら、確か4人がズラリと顔を揃えていた。

 こちらは一人。一番困ったのは「君は日本人の心を持っているのか」と言われた時だった。

 意表を突く言葉に一瞬「えっ?」。

「ない」と言えば嘘になるし、「ある」と胸を張って言えるほどでもない。のらりくらり。ついに小林専務がしびれを切らして「もういい。君のような日本人の心がわからない人と話をしても仕方がない」と言われるまで、やりとりは2時間近かったと思う。

 そんな苦い記憶があったので、14年後、カルーセル麻紀の連載時は考え込んでしまった。連載を進める中で、話の大きな柱は裕次郎だったのだ。しかも、石原プロが持っているツーショット写真がないと面白い読み物にならない。しかし、あの時の経緯を考えれば、時が過ぎたとはいえ、「どのツラさげて」である。

 しかし、そんな心配は杞憂に終わった。意を決して当時の役員に事情を説明し、「カルーセル麻紀さんの連載をやるので写真を提供してほしい」とお願いすると、「麻紀さんの頼みじゃ仕方がないな」と快諾してくれた。

 正直、ホッとしたが、その時わかったのはカルーセル麻紀への石原プロの厚い信頼だった。

次ページ:「カルセール麻紀じゃないか」

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。