「バカヤロウ! お前は“裕さん”でいい」 戦後最大のスターが「カルーセル麻紀」にやきもちを焼いた日
「カルセール麻紀じゃないか」
カルーセル麻紀の『私を脱がせて』という02年の著書がある。
この本の扉に着物をはだけ、太腿を露わにしたカルーセルの写真がある。太腿に蛇の彫り物。これは伝説の刺青師、梵天太郎によるものだが、連載は梵天太郎の関係者を通して実現した。それやこれやでこちらも力が入り、「せきらら履歴書」というタイトルで、全67回の長い連載になった。
連載の中で感じたのはカルーセルの引きの強さだ。裕次郎との出会いがまさにそれだった。
カルーセルの日劇デビューは65年。タレント業の傍ら銀座のクラブ「ブルボン」でホステスとして働いていた72年に、裕次郎と出会った。その日は封切られたばかりの裕次郎の主演映画「影狩り」を見てから店に入った。
すると、そこに裕次郎がいた。店長から「裕次郎さんの席についてくれ」と言われてビックリする。当時の裕次郎はごっついオネエに下腹部を握られた経験からオカマ嫌いで有名だったそうだ。
それで店長に言われても断ったが、3回目のお願いで仕方なく、ソファの端っこに座った。その時にカルーセルではなく、「カルセール麻紀じゃないか」と声をかけられたのを機に打ち解け、横に座らされた。
そして、店にやってきたのが遅かった理由を聞かれて「影狩り」を観てきたと話すと、「どうだった?」と訊かれた。
「いい映画だった。私もあんな映画に出てみたい」
と何げなく言うと、裕次郎は「お前も出るか」と言う間もなく……「すごいことになった」とカルーセル。
裕次郎が電話を持ってこさせて小林専務に次回作の「影狩り ほえろ大砲」にカルーセルを出演させることを告げて、クランクインを遅らせるように指示を出したという。もちろん出演は実現し、カルーセルはくノ一(女つぼ振り師から変更)を演じた。提供してもらった撮影時のオフショットも掲載することができた。
「バカヤロウ! お前は裕さんでいい」
カルーセルは、70年代後半に人気だった石原プロ制作のドラマ「大都会」(日本テレビ系)の最終回にも出演している。この撮影時に裕次郎に怒られたのだが、その理由も親密さをうかがわせるものだった。
渡哲也を始め、周囲は裕次郎を「社長」と呼ぶので、カルーセルも「社長」と言ったら、
「バカヤロウ! お前は裕さんでいい」
と叱られた。要するに裕次郎にとって、カルーセルは上下や役職などを超えた関係だったのだろう。
怒られたことがもう一度。石原プロといえば、かつては熱海で行われる忘年会が有名だった。カルーセルは当時、同棲していた彼がいて、石原プロに入りたいというので連れて行った。ところが……。
「なんで男なんか連れて来た!」
と裕次郎が声を荒らげたという。裕次郎とは色恋の話はなかったが、「やきもちを焼いてくれてちょっぴりうれしかったわ」と語った。
大スター、石原裕次郎がやきもちを焼く姿なんておそらく誰も観たことがないに違いない。それこそカルーセル麻紀ならではのエピソードだと思う。
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