田久保市長、斎藤知事、石破首相…「潔く辞めないトップ」が増えているのはナゼか 変化する日本人の「引き際の美学」に迫る
切腹が与えた大きな影響
もちろん、ここで挙げた4人の置かれている状況はそれぞれ異なり、彼らが抱える問題にはまだ白黒ついていないものもある。
しかしXなどのSNSを見ると、こうしたリーダーたちに対して「往生際が悪い」と批判する投稿が少なくない。
その一方で、一度は知事を失職した斎藤氏がSNSでの盛り上がりを原動力に再選を果たしたり、「石破辞めるな」デモが広がりを見せたりと、「辞めないリーダー」を支持する声が目立つようになっているのも事実だろう。こうした現象の背景について、社会心理学者の碓井真史・新潟青陵大学大学院教授に話を聞いた。
「日本人の出処進退に関する“美学”を考える際、武士の切腹が私たちに与えた影響は極めて大きいと思います。切腹とは伝統的な作法に従い、自ら命を絶つことで責任を取るというものです。ここで注目すべきなのは切腹が刑罰ではなく、むしろ名誉だと考えられてきたことです。切腹を申しつけられ、それを粛々と受け入れる武士の姿を、日本人は『非常に潔くて素晴らしい』、『まるで桜の花のように散り際が美しい』と積極的に評価してきました」
切腹を賞賛する文化は武士階級だけに留まらなかった。例えば赤穂事件を描いた「仮名手本忠臣蔵」が人形浄瑠璃で初演されたのは江戸時代の1748年であり、庶民はこれを熱狂的に支持した。
以来、忠臣蔵は舞台、映画、テレビドラマと何度も取り上げられ、浅野内匠頭や四十七士が切腹する場面は常に観客の涙を誘った。「花は桜木、人は武士」という有名なことわざも、初出は「仮名手本忠臣蔵」だとされている。
「地位に恋々としない」
「潔く辞めることが求められたのはトップだけではありません。大企業の部長や課長といった管理職や、政治家の秘書が組織を守るために辞職したり、場合によっては自死したりすると、少なくとも昭和の時代までは評価する声が多かったものです。ただし以前に比べると、こうした“常識”が崩れてきているのも事実でしょう。例えば私の父は昭和一桁世代で、汚職事件などのニュースで関係者の自死が報じられると『気持ちは分かる』と同情的でした。しかし昭和34(1959)年生まれの私は『組織のために死ぬ必要はないのでは?』と疑問を抱いたものです。当時から“ジェネレーション・ギャップ”が存在したわけですが、まして現在の若者は組織を守るために自死を選ぶことなど信じられないでしょう」(同・碓井教授)
一切弁解せず、反論せず、黙って辞任する──これを潔いとする“常識”は今でも強固だと言える。石破首相は9月2日の自民党両院議員総会で「地位に恋々とするものでは全くございません。しがみつくつもりも全くございません」と発言した。皮肉なことに「首相を辞めない」と批判された政治家にも、こうした“常識”が透けて見えるのだ。
その一方で、「出処進退を巡る私たちの“常識”が、どんどん変化しているのも事実です」と碓井教授は指摘する。
出処進退の“常識”は変わるか?
「社員が不祥事を起こしたため、社長が記者会見で頭を下げ、辞任を発表するのを見ると、私たちは従来の“常識”に照らし合わせて納得します。しかし、心のどこかで『社長本人が何かしたわけじゃないんだよな』と“常識”に異議を唱えたくもなります。欧米では日本型の引責辞任は理解されないという指摘もあります。また以前は原節子さんや山口百恵さんのように潔く芸能界を引退するスターが賞賛されていましたが、今は吉永小百合さんのような“永遠の現役”に憧れの視線が注がれます。人間の常識や価値観の変化は常に揺り戻しが起きますからら将来を予測するのは難しいとはいえ、問題を指摘されても堂々と反論し、絶対に辞めないというトップに違和感を覚えない時代が来るかもしれません」(同・碓井教授)











