御三家、2代目公募、引退撤回、認知症…「橋幸夫さん」激動の歌手人生 屈指の大事件「アイドル4億円裁判」を振り返る

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副社長が告訴の憂き目に

 そのような思惑もあってか、セイントフォーは橋さんが副社長に就任する前日に「不思議TOKYOシンデレラ」でデビュー。CDのリリースやCM制作などデビューにかかったプロモーション費が40億円だったことから「40億円デビュー」というハデなキャッチフレーズがつけられ、新興レコード会社のリバスターにとって華々しい打ち上げ花火になった。芸能界の話題を独占し、出足もよかった。デビュー曲は20万枚を売上げ、続く「太陽を抱きしめろ」も18万枚をセールス。アルバムも30万枚売り上げた。

 ところが1年後の85年10月を境に、レコードのリリースがピタリとストップ。当時、関係者のあいだでは「日芸とリバスターの間でトラブルが発生、ドロ仕合が繰り広げられた」という認識だった。トラブルについて所属プロダクションだった「日芸」の後藤文雄代表は、

「デビュー以来、シングル、アルバムを合わせて9枚を出したにも関わらず、レコード印税がまったく支払われてこなかった」

 と当時訴えていた。しかも、場合によっては「印税不払いは横領に当たる」ということから「(代表者である)橋副社長を背任横領で告訴する」とした。そればかりではない。

「橋副社長は、会社ぐるみでセイントフォーのメンバーの引抜工作を図った」

 そう暴露したのだ。このため、セイントフォーの活動をストップせざるを得なくなり、莫大な損害を受けたことも明かしている。この訴えに橋さんは、記者たちを前にこめかみをピクピクさせて大反撃。副社長の肩書はあったが、実際にはセイントフォーのプロデュースや制作にも関わってきたわけではない。

「横領疑惑なんて、まったく寝耳に水。事実無根の話。それに、どうして歌手である橋幸夫が攻撃されるのか。名誉棄損で告訴してもいい」

 橋さんとしては、栄光の芸名を汚されたような思いだったのだろう。明らかに怒り心頭の様子だった。

「話し合いにならなかった」

 日芸側は、リバスターに未払いのレコード歌唱、原盤印税2030万667円を含む、3億8800万円の支払いを求めていたとされている。だが実は、両者の間では水面下での話し合いが進んでおり「一旦は話がまとまりかけていたが、それを橋さんが蒸し返してしまった」という声も当時は聞かれた。

「そのそもこの問題は、1人のメンバーの引き抜きを巡って揉めたことが根源。でも、それも話し合いで和解する方向で進んでいたのです。ところが、橋さんのプライドでしょうか、“ここで引き下がったら自分の歌手生命もダメになる”と思ったようです。日芸からの支払い要求を橋さんは『根拠のない金額』などと一蹴し、和解の話をひっくり返してしまったらしいのです」(前出・音楽関係者)

 結局、両者の話し合いは決裂。86年9月30日、日芸は東京地裁に印税2030万667円の支払いを求める訴状を提出。同日、後藤代表は東京・文京区の芸音本社で会見を行い「和解の道も模索したが、話し合いにならなかった。これが一番早く決着をつける方法」とした。さらに、レコード制作をストップしたために受けた損害も請求することも明らかにし、その総額は3億8800万円とした。

 その後、東京地裁に訴状を提出した9月30日に、日芸が「不渡り」を出していたことが、帝国データバンクの調べで明らかになった。ある音楽関係者は「レコード印税の入金ストップにより資金繰りがつかなかったようだ」と裏事情を語っていたが、後藤代表はそれでも「今後も(事務所の)運営は続ける」と力強く断言していた。

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