悠仁さま「成年式」を見届けられ…59歳の誕生日「紀子さま」は皇后を経ぬまま「天皇の母」となるか

国内 社会

  • ブックマーク

 秋篠宮ご夫妻の長男で、皇位継承順位は秋篠宮さまに次ぐ第2位の悠仁さまの成年式が、自身の誕生日である今月6日から10日まで執り行われた。成年式を見届けた秋篠宮妃紀子さまは11日、59歳の誕生日を迎えられた。小泉純一郎政権下の2004年「皇室典範に関する有識者会議」が設置され、女性天皇容認論が一気に強まる中、次女の佳子さま出産から12年を経て、40歳を目前に3人目の出産を決断されてから19年余り。宮内庁関係者は「昨年に成人(成年)となった悠仁さまが、成年式をつつがなく終えるのを温かく見守られ、名実共に大人の仲間入りを果たされた姿を感慨深くご覧になっていたように拝察しました」と語る。その紀子さまが、これまで目指してきたものとは一体何だったのか、考察する。

部分前置胎盤

 晩婚化が進む中、出産年齢の高齢化も進んでおり、高齢出産という表現は時代遅れとの指摘もあるが、従来は35歳を過ぎての出産はそう呼ばれてきた。医学的には現在でも初産で35歳以上、経産女性の場合も40歳以上をそう呼んでいる。個人差はあるものの、母体にも胎児にも負担が大きいことは言うまでもなく、実際に紀子さまは前置胎盤の状態となり、平成18年9月に皇室初の帝王切開で悠仁さまを出産された。

 前回の出産から12年ものブランクを乗り越えて無事にご出産できたのは、周産期医療や不妊治療の権威として知られた産科医、中林正雄氏が主治医を務めたからだ。

 紀子さまは平成3年10月、長女の眞子さまをご出産。同6年12月に佳子さまを出産された。中林氏は東京女子医大の産科医として宮内庁病院での眞子さま出産をサポート。愛育病院の院長として同18年9月の悠仁さまのご出産を手掛けている。愛育病院は上皇陛下のご生誕を記念して昭和天皇の許可を得て設立された恩賜財団「母子愛育会」が運営。産婦人科の専門病院として国内外で知られる。

 皇室医療の元従事者は、こう打ち明ける。

「紀子さまのように胎盤が子宮口の一部をふさぐ部分前置胎盤は、子宮の収縮で胎盤がはがれやすくなり、大量出血の恐れがあるので手術で輸血が必要になる場合に備えて自己血を入院後3回に分けて採取していました。幸い最悪のケースは起こらず、自己血はお使いになりませんでしたが、それほどの危険を乗り越えてのご出産だったのです」

「だからこそ、悠仁さまの成年式を見届けて迎えたご自身の誕生日が感慨深いものになったのではないでしょうか」と前出の宮内庁関係者は指摘している。

 紀子さまは昭和41年に川嶋辰彦氏の長女として静岡市内でご生誕。辰彦氏の留学や研究員就任に伴い、米国やオーストリアで子供時代を過ごし、辰彦氏が学習院大で教鞭を執ることになった関係で帰国され、学習院女子中等科から同女子高等科、同大文学部心理学科へと進まれた。

次ページ:民間の視点で

前へ 1 2 3 次へ

[1/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。