悠仁さま「成年式」を見届けられ…59歳の誕生日「紀子さま」は皇后を経ぬまま「天皇の母」となるか
民間の視点で
大学構内の書店で秋篠宮さまと知り合い、学校のサークル活動を通じて交際を重ねた。大学最寄りの目白駅前交差点で信号待ちをしていた際に「私と一緒になってくれませんか」とプロポーズされ、平成元年9月12日の皇室会議で結婚が内々定。一般の結納に当たる「納采の儀」を翌2年1月12日に執り行って正式に婚約し、6月29日の「結婚の儀」に至った。
婚約中はテレビの情報番組で連日、ジョギングする姿が報じられ、レポーターからマイクを向けられてはにかむ表情が「紀子さんフィーバー」を巻き起こし、川嶋一家の住居が学習院大の職員住宅だったことから「3LDKのプリンセス」と呼ばれた。秋篠宮さまは兄の天皇陛下より先に所帯を持ったことから、紀子さまは上皇后美智子さまに続く戦後2人目の民間からの皇室入りとなった。
皇室入りしてからは、熱心に公務に取り組まれてきた。公益財団法人「結核予防会」の総裁として例年、結核予防全国大会の式典にご出席。かつては不治の病と言われた結核が、現在でも危険な病気であるという事実を周知し、国民の関心を高めることで予防を促進するため壇上に立ち続け、「結核の予防や対策に取り組まれてきた方々に深く敬意を表します」と式典の参加者らにお声をかけられている。
また母子愛育会の総裁も務めるほか、耳の不自由な人たちを支援する活動にも熱心で「手話は通訳並みの習熟度」(前出の宮内庁関係者)。その活動の意義を小室眞子さんや佳子さまにお教えするため、早くから全国高校生の手話によるスピーチコンテストにお嬢さま方を同行させるなどしており、佳子さまは現在、一般財団法人「全日本ろうあ連盟」の非常勤嘱託職員をされている。
宮内庁での勤務経験を持つ、元キャリア官僚の男性は指摘する。
「紀子さまは国民の目に皇室がどのように映っているかを常に意識されているように思います。特に生まれながらの皇族ではなく、成人となるまで民間に身を置いていたご自分の感覚や視点を大事にされながらお務めを果たし、お子さまの教育に励まれてきたのです」
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