悠仁さま「成年式」を見届けられ…59歳の誕生日「紀子さま」は皇后を経ぬまま「天皇の母」となるか

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花言葉は奇跡

 前出の元キャリア官僚は、女性の皇位継承を認めない現在の皇室典範についてこう語る。

「女性蔑視として反対する意見と、伝統を重視して賛成する意見に国民世論は分かれていますが、現行法に基づいて皇室の存続を考えた場合には、紀子さまはまさに“救世主”です」

 秋篠宮さまは上皇陛下が生前退位される際、ご自身が即位する可能性について「兄(天皇陛下)が80歳のとき、私は70代半ば。それからはできないです」と述べられたと報じられている。

 上皇陛下は生前退位を決断した動機を「80を越え(中略)次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないか」とビデオメッセージで明かされていることを踏まえ、秋篠宮さまが「高齢で即位するのは難しい」という本音を吐露されたかたちだ。

 明治時代、天皇の皇后ではないものの、次の天皇の実母として“国母”となったのが柳原愛子である。大正天皇を生んだ柳原は、明治天皇と皇后(昭憲皇太后)の間に授かった跡取りが次々に夭逝(早死)していく中で、皇室存続の危機をひそかに救った。天皇の実母は皇族以外からでは古くは蘇我氏、その後は藤原氏といった政治の実権を握っていた氏族から輩出されてきた歴史がある。柳原のようなケースは淳仁天皇の生母である奈良時代の貴族当麻老の娘・当麻山背など、あまり多くはない。

 柳原の場合、側室の存在が認められていたなど、時代背景の違いはもちろんあるが、男系男子という縛りがある皇室の救世主となったことは事実だ。紀子さまは今まさに、その国母となる階段の途上にある。前出の元キャリア官僚は「紀子さまがお印にしている檜扇菖蒲の花言葉は奇跡だそうです」と前置きしたうえで、こう語る。

「女性天皇を認めるかどうかという議論は、意見が真二つに分かれるもので、簡単に結論がでるものではないのかもしれません。認めるにしても、認めないにしても、多くの国民が納得できるよう、性急な判断は避けるべきでしょう。その意味で、19年前に悠仁さまが胎児までも危険にさらされる前置胎盤の困難がありながらもお生まれになり、ついには大人の仲間入りを果たされたのは、ある意味で奇跡なのです」

朝霞保人(あさか・やすひと)
皇室ジャーナリスト。主に紙媒体でロイヤルファミリーの記事などを執筆する。

デイリー新潮編集部

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