30年「世界遺産になれない」彦根城 本当はアピールすべき“絶対的な価値”とは
彦根城独自の価値こそ強調すべき
たしかに、彦根城には「大名統治システム」がよくわかる遺構も数多い。藩主の屋敷であった楽々園と、その広大な庭園である玄宮園は、各地の城郭に御殿建築がほとんど残っていないなか、貴重な遺構である。庭園もまた、大名の生活上はもとより、外交上も重要な施設だった。
また、中堀の内側には西郷屋敷長屋門や脇家屋敷、木俣屋敷など、重臣の屋敷のいくつかも部分的に残り、重臣が城に周囲に集住していた様子がいまに伝わる(脇家屋敷はいまにも倒壊しそうで、早急の修復が必要だと思うが)。
つまり、天守や櫓、門などは、石垣や堀と一体化した防御のための建造物だが、彦根城はそれ以外に、御殿や馬屋、重臣屋敷など、当時の大名の統治システムを支えていた遺構も数多い。それはまちがいない。
だが、それだけでは、彦根城のせっかくの魅力の一部しか語っておらず、もったいない。元来は軍事を目的に、いわば国家事業として築かれ、急いだために、日本でしかできない「移築」という技を駆使して築かれ、それが上手く残って、以後の「大名統治システム」に組み込まれた――。たとえば、そんなストーリーを説いたらどうなのだろう。
繰り返すが、「大名統治システム」は幕藩体制下のすべての城郭に共通するものだった。それがよく残るというだけでは、彦根城独自の価値評価にはつながりにくい。「独自の価値」がある城なのだから、自信をもってそれを説いてほしいと思うのだが。
[3/3ページ]


