8名無差別殺傷でも「池袋通り魔事件」の死刑が未だ執行されない理由 執行に反対する「日弁連」 実行犯は「独房で廃人同様の生活を送っている」

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遺族の怒り

 しかし、この被告側の姿勢に激怒したのは遺族である。2名の犠牲者のうちの1人・B子さん(29=事件当時)の弟は、事件後、「姉のページ」というHPを開設した。「週刊新潮」2000年5月4・11日号は、この動きについて記事にしているが、それによれば、弟はHPでこのように思いの丈を述べている。

〈初公判で、犯人の弁護士が精神鑑定を要求してきました。あきれたものです。もしこれで本当に犯人が無罪になったら、日本の法律では無差別殺人は罪にならないということになります〉

〈すべての臓器を売ってでも賠償してほしいです。死刑囚の臓器を売り、その収益で賠償。そんな気の利いた法律、作れないものでしょうか〉

 また、B子さんの夫も同誌の取材にこう答えている。

「相手の弁護士は造田の生い立ちや過去について延々と述べ、同情を誘おうとしていました。私にいわせれば、どういう犯罪をなぜ犯したのかだけが重要で、造田の過去などどうでもいいことです。そのうえ造田が書いた意味不明の手紙を引っ張り出して、犯行当時、精神分裂病だったと結論づけようとしていました。しかも加害者には公判中、同情を誘うための莫大な時間があり、まさに言いたい放題ですが、被害者側にはそんなことは許されないのです」

死刑が確定

 事件から3年後の2002年3月、東京地裁は一審判決を下した。判決は「死刑」。裁判官は、「事前に凶器を準備し、目的通りに犯行を遂げており、行動の抑制能力が喪失、減退した状態にはなかった」として、完全責任能力を認めた。動機についても、「携帯電話にかかってきた無言電話を契機に、努力している自分を正当に評価しない社会などへの反発心を募らせ、世間を驚かせることで自分を認めさせようとした」。そして、「自己中心的で冷酷な動機に酌量すべき点はない」と断罪したのである。

 これを不服とした造田は控訴したが、判決は覆らず。上告も2007年に棄却され、死刑が確定した。その後、再審請求をしたが、主張は認められなかった。

拘置所での生活

 その後、造田はどのように執行の時を待っていたのか。「週刊新潮」2013年7月25日号では、拘置所で死刑囚の身の回りの世話をしていた受刑者に取材。造田の秘められた生活ぶりを明らかにしている。それによれば、

「造田は何もしゃべらず、下を向いて一日を過ごしています。“お茶要りますか?”と聞いても、やや間を置いて手でバッテンの合図をするくらいで、私は彼の声を一度も聞いたことがありません」

「汚くてもどうしようもない人間で、シャツも洗濯しないから、白いシャツが真っ黄色になってしまっているんです。トイレも絶対に流さないので、房は臭くて仕方がない。一言で言えば、“廃人”同様の人物」

 扱いにくさでは、フロアで屈指だったという。

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