「僕が作った歌を歌ってくれたらうれしい」…逡巡するイルカに名曲「なごり雪」を歌わせた伊勢正三の“胸が熱くなるひと言”

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 夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さん。これまでの取材データから、俳優、歌手、タレント、芸人……第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第32回は歌手のイルカさん。あの名曲「なごり雪」を歌うことになった秘話に迫ります。

「なごり雪」は「かぐや姫」の名曲

 歌は聴いて歌って、楽しければいいと思っている音楽の門外漢である筆者だが、「なごり雪」はちょっとだけひっかかっていた。

「なごり雪」は、「かぐや姫」の名曲だけど、ヒットさせたイルカの代表曲……。

 腑に落ちるような、落ちないような、モヤっとした感じ。

 しかし、何度か本人に話を伺い、その謎(実は謎でも何でもないのかもしれない)が解けてスッキリした。「なごり雪」とイルカというシンガーソングライターの物語はとても味わい深い。

 父・保坂俊雄は「保坂俊雄とエマニアーズ」というジャズバンドを率いたサックスプレイヤー兼アレンジャー。イルカはその父の背中を見て育った。

 最初の音楽の記憶はアメリカのギタリスト、レス・ポールとメリー・フォードが53年に歌って全米ナンバー1になった「Vaya Con Dios(バイヤ・コン・ディオス)」だったという。中学時代はビートルズに夢中になり、「ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!」を50回以上、映画館に観に出かけた。

 高校に入ると、洋楽少女でありながらグループサウンズなども聴き、フォークソングの入口は女子美術短大「女子美フォークソング同好会」入会だった。部員が黒いギターケースを持って一列になって歩いている姿を自ら「イルカの大群が泳いでいるみたいに見える」と言ったことから「イルカ」と呼ばれるようになった。

 運命の出会いはすぐにやってきた。当時は早稲田のフォークソングクラブが人気で、中でも学生バンド界のスターが神部和夫(享年59)。それまでは「ジョン・レノンと結婚したいと思っている乙女」だったが、会った瞬間に「この人とずっと一緒にいるだろうなと直感した」と言う。彼女が19歳の時に、二人は婚約する。

 神部はフォークグループ「シュリークス」のリーダーだったが、南こうせつと伊勢正三の「かぐや姫」に参加するため、メンバーだった山田パンダらが抜け、短大を卒業したイルカと神部とのデュオになる。

 だが、「シュリークス」は2年後に解散する。その時、誰もが神部がソロになり、イルカが家庭に入ると思ったが逆で、神部がプロデューサーになり、イルカがソロデビューすることになる。

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