「七人の侍」焼き討ちシーンは「燃えすぎ」「眉も髷も全部焼けた」…黒澤明監督も「一生忘れない」と言った大混乱の現場、出演者が明かした一部始終
第1回【黒澤明監督の「民家の屋根を外せ!」発言は本当か 妥協を嫌った日本の巨匠は宮崎アニメで「すごく泣いちゃった」ほどナイーブだった】を読む
世界が認めた巨匠、黒澤明監督が88歳でこの世を去ったのは、1998年9月6日のことだった。ダイナミックな映像表現や普遍的なヒューマニズムなど、「世界のクロサワ」を評価するポイントは山ほどあるが、日本では撮影時の大胆エピソードでもおなじみである。
死去から27年、そんな黒澤監督の伝説を、出演俳優とスタッフ陣の証言で振り返ってみよう。彼らが見た「乱」の戦闘シーンや「七人の侍」の焼き討ちシーンは、やはり令和では考えられないスケールだった――。
(全2回の第2回:以下、「週刊新潮」2010年4月1日号「馬すら演技した『黒澤明』の伝説」を再編集しました。文中の年齢等は掲載当時のものです)
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【写真】黒澤監督83歳を祝う場に駆け付けた面々は…所ジョージさん、淡路恵子さん、淀川長治さん、京マチ子さんの姿も
馬まで監督の指示に従っていた
28億円の巨費を投じた「乱」(1985年)の戦闘シーンは大きな話題となった。
「まるで絵巻物のような合戦映画で、非常に絵画的でした。リアリズムを目指したのではなかったのですが、結果的にリアリティーがあるものになりましたね」
とは、出演した俳優の井川比佐志さん(73)。
「そのためには壮大な仕掛けが必要だったのでしょう。数百頭の馬を集めて調教したり、足りない分は牧場主に声をかけて借りたり、輸入したり、とにかく本物を使っていました。馬が駆けるシーンでは、あらゆるスタッフが砂の入った袋を担いで砂ボコリをまき散らしていましたね。馬まで監督の指示に従っていましたよ。“よーい!”と言うと馬がピシッと止まり、“スタート!”と言うと一斉に走り出すんです」
“黒澤天皇”の威光は馬にも届いたということか。妥協を許さないという姿勢は晩年になっても変わることはなく、「八月の狂詩曲(ラプソディー)」(1991年)でも同じだった。
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