「七人の侍」焼き討ちシーンは「燃えすぎ」「眉も髷も全部焼けた」…黒澤明監督も「一生忘れない」と言った大混乱の現場、出演者が明かした一部始終
監督も出演者もびしょ濡れ
井川さんは続ける。
「ラストシーンは主役の村瀬幸子さんが台風の中を飛び出して行き、それをみんなで追いかけるという場面です。この時、本物の台風の中で撮影を狙い、台風情報が入ると、各地に散らばっていた出演者やスタッフが、ロケ現場の御殿場に集まってスタンバイするという状態でした。でも、雨の強い時は風が弱かったり、とうまくいかない」
結局、撮影に向いた台風は来ず、人工的に風雨を作ることになった。それでもさすが黒澤組、ものすごいことになった。
「ヘリコプターがホバリングして風を起こし、我々が走ってゆく先には巨大な扇風機を設置し、強い風を吹かせていましたね。さらに、実際に台風で揺れている様子を再現するため、背景の木にスタッフがロープを結んで、はいつくばったりして数人がかりで引っ張っていましたよ。水は穴をあけた鉄管から放射させましたが、それでは足りず、ポンプ車からホースを引いて水をまき散らしていました。おかげで監督も出演者もびしょ濡れ。村瀬さんなんてお年なのにもうグシャグシャになっていましたよ」(同)
「七人の侍」焼き討ちシーンの裏側
台風が来なければ、台風を作る。ないものを何でも作ってしまうのが、黒澤流だ。「用心棒」(1961年)では街を造り、「乱」では4億円をかけて燃やす城を建築した。そして傑作の誉れ高い「七人の侍」(1954年)では、村を造り、野武士の山塞も造った。その山塞を焼き討ちするシーンの撮影は今でも語り草だ。
「僕が黒澤さんに“早くやりましょうよ”というと、“まだ駄目なんだよねえ”と言う。“火をつけるのに消防車が来て、許可が下りないとできない”と言うんだ。その日は乾燥注意報が出ていて、消防車が出払っていたんです。なかなか始まらなくて、黒澤さんはそわそわしていた。前に火事のシーンで失敗して、うまく燃えなかったとかで、セットに石油をたらしたりして、やけに落ち着きがなかった」
というのは、百姓・利吉役で出演した俳優・土屋嘉男さん(82 ※2017年2月死去)である。
「しかし、いざ撮影が始まると、空気は乾燥しているわ、石油が多めにたらされているわで、撮影が終わる前にセットが焼け落ちちゃったんです。僕なんて眉も髷も全部焼けちゃって、熱くて熱くてしょうがないから、池に行って泥を顔に塗って、また熱くなり池に行く。そんなことをくり返していたんです。熱風に囲まれたものですから、僕のところからは、黒澤さんが何を言っているのか聞こえない。“続けろ!”なのか、“やめろ”なのか、全然わからない」
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