「七人の侍」焼き討ちシーンは「燃えすぎ」「眉も髷も全部焼けた」…黒澤明監督も「一生忘れない」と言った大混乱の現場、出演者が明かした一部始終

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黒澤監督も後日に「一生忘れないな」と

 土屋さんは続ける。

「あるシーンでは僕が火に飛び込もうとして、千秋実さん(七人の侍の一人、林田平八役)が“やめろ”と言って止めるはずだったんだけど、いつまでたっても千秋さんは来てくれない。ふと振り返ると、千秋さんは随分離れたところで銃撃にやられて死んでしまっている。あれには驚いた。他のキャストも、斬られた野武士も熱くてしょうがないからモゾモゾ動いて池に行こうとする。おまけに、馬は綱を切って逃げ出すし、中には背中の皮が全部剥けた人もいたんですよ」

 撮影は混乱の最中、続行された。

「後でラッシュを見ると、フィルムに黒澤さんが映っているわ、消防車が映っているわで、大変だった。撮り直したシーンもあったけど僕のところはそのままでした。あれはお芝居じゃない。燃えすぎたんですよ。しかも、三船(敏郎)さんは火傷で火脹れになった僕の顔をバチーンと叩く。後に黒澤さんと釣りに行った時、“山塞の火事場の場面は一生忘れないな”とシミジミ言っていましたが、そりゃそうだと思いますよ」

才能と性格が好きだったからついて行った

 黒澤監督を“巨匠”と呼ぶ人は多い。しかし、映画は1人で作るものではない。多くの人が支えた。それにしても、これほどの苛酷な要求にスタッフや出演者は何故耐え得たのだろうか。

「監督について行ったのは、彼の狙いが良いもので、そしてその才能、性格が好きだったからです。現場での優れた決断力は見事で切れ味が良かった」

 こう語るのは、スクリプター(記録係)として19本の黒澤作品に携わった野上照代さん(82)だ。

「自分の存在は初めから、監督のペンであり消しゴムですよ。つまり監督にとって、いかに使いよいペンであるかを心がけて、一生懸命やってきたんです」

 監督との出会いが一生を決めたという人は多い。9歳の時に「赤ひげ」(1965年)に出演、天才的子役と賞賛され、その後も黒澤作品を支えた頭師佳孝さん(55)もその一人である。

「厳しい監督で、子役だからといって特別扱いはしませんでした。『赤ひげ』のあるシーンで監督から一発OKが出て、“百点満点だ”と言ってもらえたことがありました。僕にとって、この満点を頂いたことが、その後、役者人生を歩ませたのだと思っています。今も俳優を続けられているのも、監督のおかげだとつくづく思っています」

 前出の野上さんは言う。

「『七人の侍』のラストシーンのように、刀を突き刺した土饅頭の上を風が吹き過ぎていくようだ、と以前書いたこともありますが、そんな気がします」

 しかし、いかに時が過ぎようとも、黒澤作品の輝きが失われることはない。

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「芯の所では人間臭くて一直線」――。第1回【黒澤明監督の「民家の屋根を外せ!」発言は本当か 妥協を嫌った日本の巨匠は宮崎アニメで「すごく泣いちゃった」ほどナイーブだった】では、香川京子さんや出目昌伸監督、木村大作監督、娘の黒澤和子さんらが黒澤監督の素顔を語っている。

デイリー新潮編集部

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