保護猫は愛せるけれど「我が子はちょっと…」な45歳夫 妻からの“離婚して”にも驚きの対応

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「育った環境がいけなかったのかなあ」

 地方出身の賢哉さんは大学入学以来、東京でひとり暮らしをし、社会人になってからは会社の単身者用借り上げマンションで生活していた。結婚したことはしばらく会社にも言わなかった。どうしても「家族で生活すること」が想定できなかったという。

「僕の育った環境がいけなかったのかなあ。うちの父親は山師みたいな人でね、儲け話があるといっちょかみするタイプで、こっちでちょっと儲かるとあっちで全部スってしまうようなヤツだった。帰ってこないことも多かったし、帰ってくるとおふくろと取っ組み合いの大ゲンカ。それでまた飛び出して行っては、ときどき儲けた金を送ってくる。そんなんじゃ生活は成り立たないから、おふくろは朝から晩まで働いていましたね」

 中学生になったころ、あんなオヤジとは別れればいいと彼は真剣に母に言ったが、母はにこにこしているだけで何も言わなかった。“あんなオヤジ”でも、母にとっては大事な人だったのだろうと今なら想像がつく。

 賢哉さんが社会人になったころ、父はあっさりと遠方で「野垂れ死んだ」そうだ。「おとうさんらしい死に方だね」と泣き笑いしていた母も、父の後を追うように急死した。どれだけ深い絆がふたりの間にあったのか、息子である賢哉さんは何も知らない。

「若いころは自分の存在があやふやでしたね。父と母は離れていてもケンカしても、互いに強烈に求めあっているところがあったんでしょう。でもふたりとも僕に対しては、わりと淡々と接していた。愛されていなかったとは思わないけど……。あとから考えれば、中学生くらいになったときは大人扱いされていたのかもしれない。でも僕自身は、どこか物足りなかったんですよ、親の愛が。それで自分の存在を肯定したり否定したりと、ずっと思春期が続いて今に至る……という気がしています」

保護猫は飼うけれど

 結婚して子どもが生まれても、どこか家族に関心をもてなかったのは、自分の存在すら認めることができなかったからなのだろうか。あるいは両親の「変わった愛情」を見続けていたために、自分の中から生まれる愛情に気づけなかったのだろうか。

「縛られたくなかったとずっと思ってきましたが、確かに愛情については考えるのを拒絶していたような気がします。犬や猫は好きなんですけどね、同じレベルで人間を考えられないというか」

 子どものころから捨て犬を拾ってきて育てるような子だった。今も保護猫を飼っている。本来は心優しい人なのだろう。

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