ようやく開花した「琴勝峰」 ホープと呼ばれながらもケガで低迷…「刺激になったのは間違いない」と明かした存在とは【令和の名力士たち】

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一番好きな料理は、父が作るなめろう

 琴勝峰こと、手計富士紀(てばかり・としき)少年が相撲を始めたのは、幼稚園の頃だったという。実家のある千葉県柏市は少年相撲が盛んで、勧められるがままに相撲大会に出たところ、女の子に敗戦。その「黒星」が手計少年に火を点けた。

 小学生になると、本格的に柏少年相撲団に参加し、相撲の練習を重ねた。少年を奮い立たせたのは、父・学さんの存在もあった。もともと体を鍛えることが好きだった父は、富士紀少年と共に相撲の練習を始めて、時には稽古台になって鍛えた。

 手計家は祖父母の代から、柏駅前で居酒屋を営んでいたこともあり、父は栄養学にも長けていた。富士紀、弟の太希(幕内・琴栄峰)には、好きなだけ米やおかずを食べさせた。

 学さんと母(カツ江さん)は、今でも毎日厨房で料理を作っているが、

「一番好きな料理は、父が作るなめろう。なめろうというと『鯵』というイメージがありますけど、ウチの店のなめろうは、カンパチとかその時一番新鮮な魚を使うんです」

 と、琴勝峰は自慢げに語る。

将来の横綱を期待されながらも負傷で低迷

 こうして、少年相撲で力を付けた富士紀は、中学時代、全国都道府県中学生相撲選手権個人無差別級で優勝。その後、名門・埼玉栄高に入学した。

 高校時代は、1年生から団体戦のレギュラーを務めて、2年、3年生の時は全国大会で団体戦を連覇するなどの大活躍を見せる。ちなみに、相撲部のチームメイトには、納谷(現幕内・王鵬)、塚原(現十両・栃大海)がいて、しのぎを削っていた。

 初土俵は、高校3年在学中の2017年九州場所。18年秋場所、幕下で1度負け越しを経験したものの、あとはすべて勝ち越しという順調な出世で、2年後の九州場所、新十両に昇進した。

 それをキッカケに、本名を捩った「琴手計(ことてばかり)」から「琴勝峰」へと四股名を改めた。佐渡ヶ嶽部屋の象徴である「琴」、母・カツ江さんから「勝」、さらに上を目指すという意味を込めて「峰」の字を用いた四股名をもらった20歳の琴勝峰は、スケールの大きさも相まって、部屋の兄弟子・琴ノ若(当時、現・琴櫻)とともに、将来の横綱を期待されるほどだった。

 20年春場所の十両優勝を経て、名古屋場所では新入幕を果たした琴勝峰だったが、翌年は脚の負傷などで、十両に陥落するなど低迷していた。

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