ずぶ濡れで歌った真冬の一日から30年 中西保志「最後の雨」が90万枚ヒットになるまで

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 中西保志(64)が、20年ぶりとなるオリジナルアルバム「BONUS TRACKs ~最後の雨2025」を7月23日に発売した。代名詞となったヒット曲「最後の雨」は30歳という遅咲きのデビュー直後に発売したシングルだが、当初はアルバムの中の1曲という位置づけだったという。「最後の雨」の最新バージョンも収録した今回のアルバムに「ボーナストラック」と名付けた、その思いを聞いた。

(全2回の第1回)

声がいい人が素晴らしい歌手

 出身は奈良県。音楽の原点として記憶に残るのは、父が好きだった村田英雄だ。家では毎日のように村田の曲が流れていた。

「『8トラ』(8トラックカートリッジ)と呼ばれるテープがありましてね。『村田英雄全集』などを父がかけていたんです。たまに美空ひばりさんや三波春夫さんもあったけど、やはり村田さんが多かった。小学校の頃にはほとんどの曲を歌えていました(笑)」

 家族で歌番組を見る際には、歌手の声質の良さが印象にのこった。“声が良くなければ歌手にはなれない”と思わせるほど、当時の歌手たちの声が強く耳に響いた。

「声がいい人が素晴らしい歌手なんだ、という感覚が刷り込まれたんです」

 ただ中学に入ると、フォークソング好きやハードロックに傾倒するクラスメイトとの間にギャップを感じるようにもなった。

「それで洋楽を聴き始め、FMラジオなんかも聴くようになりましたね。大学に入ってからは、アパレルの店長をやっていた先輩の手伝いをしながら、バンド活動も始めました。そのバンドは24~25歳まで続けたかなあ」

自分の現在の活動位置を確かめたい

 大学卒業後は百貨店に就職したものの、体調不良などを理由に退職。当時は、“先生”になる夢も持っていたという。

「学習塾の講師や採点の仕事のほか、家に子どもを集めて塾みたいなものをやっていました。学習塾に就職しようかとも考えていて、音楽については歌えていればよかったから、週に1回程度、バンドメンバーがスタジオに集まって趣味で練習していたぐらい。それでも楽しかったので、(音楽で)将来のことをどうしようとかは、あんまり考えてなかったですね」

 その一方、ある思いが渦巻いてもいた。

「自分の“現在位置”を確かめたい、と思ったんです。プロの中に混じったらどうなるんだろう、という好奇心が湧いたんですね」

 そんな中西にぴったりのテレビ番組の企画が、1987年のゴールデンウィークに放送された。朝日放送のコンテスト番組で、50組以上の素人参加者が集まり、生放送するというものだ。

「面白い人を集めて、それを朝から生放送で流し続けるという、今思えばバブル時代の企画だったんでしょうね(笑)。ほかの人の調子が悪かったんだと思うんですが、出場したら優勝しまして、その番組を見たレコード会社から声がかかったんです」

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