母に怒鳴られ、殴られて育った少年が40年後、自分の息子を叩き、罵倒するまで【毒母に人生を破壊された息子たち】

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「毒母」に人生を破壊された息子たちの過酷な人生を描く連載記事の最終回。【前編】では、50代男性、井川さん(仮名)が幼少期から受けた、両親からの凄まじい精神的、肉体的虐待について記した。【後編】では、苦難を乗り越え、伴侶を得て結婚。子どもまでもうけながら、今なお母の呪縛から逃れられない、その後の人生について詳述する。

 【前後編の後編】
 【黒川祥子/ノンフィクション・ライター】

 ***

家を出る

 高校生になっても、まだ腕力は父の方が優っていた。喧嘩になりかけた時、改めて父親の狂気を思い知った。

「父親がオレンジジュースの瓶を持って、それで僕を殴ろうとした。この人、本当にやるんだって。行くところまで行くんだと。このまま家にいたら、父に殺されるか、僕が父を殺すのか」

 まさに、瀬戸際だった。たまたま親に言われて進んだ大学で、さる宗教団体に勧誘され、入信。大学4年の時に家を出て、教団の寮に転がり込んだ。6畳に3人で雑魚寝、トイレは共同の長屋生活だったが、家にいるより、はるかに快適だった。

「教団の人は、すごく優しくて。当時の僕は親からの暴力で震え上がっていたし、強固な人間不信があったけど、こんなに優しい人たちもいるんだ! って、吸い寄せられるように取り込まれていきました。ここで人間不信が一つ、取れたことは確かです」

初めて出来た居場所

 22歳から10年間、教団で働いた。家賃、光熱費、食費が無料で、給与は月に2万円。年間休日0日で、365日、1日16時間労働。社会保険もなく、国民年金は全額免除。2万円は、携帯電話代と服に消えた。それでも井川さんにとって初めて出来た居場所だった。が、10年が過ぎると、次第に教義に疑問を持つように。そして教団のルールに背き、無一文で放り出された。

 その後は住み込みで新聞配達をしたが、身体が音を上げ、アパートを借りる金を作ったところで新聞配達の寮を出て、互助会の営業、印刷会社などで働いたが、どれもブラックで、手取りは17万円にも満たない。サービス残業に、昇給もない。そこで、「せどり」という転売を始めたら、これが当たった。

「今はもうできないのですが、100円で買った本が5000円、1万円で売れ、月に30~40万は稼いでいました。6~7年やっていたら欲が出てきて、月100万円稼ぐ富裕層になるんだと、高額の自己啓発セミナーに出まくって、気づいたら、借金が800万円ほどになり、どうしようもなくなって自己破産しました」

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