「コロナがはやるから帰省はガマン」「備蓄米を買わずしてどうする」 “空気”に圧倒されるザンネンな日本社会(中川淳一郎)
お盆になると思い返すのは、2020年から約3年間、メディア、医者、政治家が異口同音に唱えたあのフレーズです。日本では理屈ではない「空気」や「フィーリング」が極めて強力であることを物語ります。
〈帰省などで人の移動が激しくなると、感染症が拡大します。おじいちゃん・おばあちゃんを守るためにも帰省は我慢ッ!〉
20年については「今年は特別な夏」なんて言われ方すらされました。しかし、同年夏までにコロナはすでに全国的に流行。「県を跨ぐ移動」の類いが悪さをしているわけじゃないことは明白でした。それに「移動の抑止」など、ロックダウンでもしないと無理です。
そもそも「帰省」って、そこまで大多数の人がするものなのか。都市部在住の地方出身者が主に実家に戻るわけですが、中国の春節のごとき「民族大移動」の規模には到底及びません。
先のフレーズに疑問を抱くのは「どんな田舎だって感染者は出た。面会制限した高齢者施設でもクラスターは発生した」からです。
感染源を都会の子どもや若者と設定。高齢者がうつると死ぬという「定説」は結局、23年5月8日のコロナ5類化まで続きました。
忘れてはならないのは、20年10月16日公開の「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」が動員数2896万人を記録した事実。興行収入404億円は日本歴代1位、かつ20年の年間興収世界1位。コレ、全国で相当な人が動いたのではないでしょうか。
地方の県では映画館が少なく、人口上位の2~3の自治体にしかないこともザラ。高知県は高知市だけ。現在私が暮らす佐賀県は、佐賀市と唐津市だけです。唐津の館はミニシアターで、「鬼滅」を上映するようなところではありません。
となれば、県内の人々は佐賀市か福岡市にドッと移動するわけで、お盆の帰省を特別視した意味は何だったのか。公開初日の大混雑ぶりを見て「不要不急の映画鑑賞はやめましょうッ」と呼びかけたなら、整合性は取れるのですが……。
他にも年末年始の帰省、成人・卒業・入学式、花見が“悪者”として狙い撃ちに。その後、NTTドコモのデータによって、人流と感染者数との間には相関性がないことが明らかになりました。
空気とフィーリングに圧倒される社会の実像は、これ以外でも見えます。
小泉進次郎農相が備蓄米放出を決めた件。「彼を次の総理に!」みたいに一気に盛り上がりましたが、随意契約米の出荷遅延が相次いだ影響か、8月までに2万9000トン分の申し込みがナ、ナンとキャンセルに!
思えば、備蓄米売り出し初日は買い求める人の行列ができました。買わずしてどうする、とあおられた人が出たせいです。が、今やブランド米の値段も狙い通り下がり、備蓄米は売れ残っている小売店も案外あります。要は、コメは足りている。テレビを中心とするメディアが米騒動をあおり、危機的空気を醸成しただけの結果に終わったようです。
夏の甲子園にも、小さいながら同じ構図がのぞきます。このご時世になお部員全員丸刈りの高校が多いことです。これも空気やフィーリング、高校野球界における同調圧力の結果か? 横にいる人の振る舞いも、己の行動の判断材料なのです。




