「『アンパンマンのマーチ』は特攻隊の歌だった説」を検証してみると

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 2010年には4.4%に過ぎなかったスマホ普及率は、2022年にはなんと94.0%にまで達した(NTTドコモ モバイル社会研究所「2022年一般向けモバイル動向調査」より)。デジタルネイティブ世代の若者だけではなく、中高年もスマホを積極的に活用するようになった結果、およそ常識とかけはなれたことを信じてしまうケースも珍しくない。

「世界を本当に支配しているのは闇の政府」

「コロナワクチンは人口削減のための生物化学兵器らしい」

「岸田首相はゴムのマスクをかぶったゴム人間である」

 このように、普通の人なら一笑に付すような「説」を真剣に信じる老若男女が増えているという。その拡散に「貢献」しているのが、SNSだ。

 物江潤氏の新著『デマ・陰謀論・カルト―スマホ教という宗教―』(新潮新書)では、ある奇妙な説についての検証が試みられている。

「アンパンマンのマーチは特攻隊員に向けて作られた」――こんな説がネット上には多数存在しているという。

 なぜそのような説が存在しているのか。どこまで信憑性があるのか。

 物江氏に解説してもらった。

「『アンパンマンのマーチは特攻隊員に向けて作られた!』などという見出しの記事や動画は、ブログ・YouTube・ツイッターのみならず、驚くことにTikTokにさえ拡散しています。

 実際に『アンパンマンのマーチ』の歌詞を確認してみると、幼児向けのアニメとしては、かなり哲学的であるとはいえます」

 たしかに言われてみれば、〈なんのために生まれて なにをして生きるのか〉というフレーズは、哲学書のようでもある。また、自らの身体(頭部)を犠牲にするアンパンマンの生き方は特攻隊員に通じるという解釈も可能なのかもしれない。

 しかし、同様のテーマはアニメや映画などでわりとありがちともいえる。自らの命を賭して地球を救ってきたヒーローは数多くいたはず。

「アンパンマンについては、このような不可思議な話が流通してしまう理由がありました。

 原作者で、作詞者でもある、やなせたかし先生の弟が特攻隊員であり、戦争で命を落としている点が大きいでしょう。各著作で何度も弟の死について言及していることから、やなせ先生に多大な影響を与えたことは想像に難くありません。

 実際、弟の死を念頭に置きつつ歌詞を読んでみると、たしかに特攻隊員への歌にも思えてきます。

 そういう起源を知らなくても十分、あの歌は感動的ですが、そういうストーリーがあればより深みを増すと感じる人もいることでしょう。だからこそこのストーリーは拡散され続けているのです。

 特攻隊説を主張する動画には、感情を揺さぶられた視聴者たちが多くのコメントを残していて、『感動しました』『学校の授業で習いました』『やなせ先生がそう言っているのをテレビで見た』などというものも目に付きます」

やなせ先生の著書で語られていたこと

 本人がそうおっしゃっているのならば信憑性はありそうだが……。物江氏はこう続ける。

「テレビでやなせ先生本人が特攻隊が起源だなどと話すはずはないと思います。というのも、先生自身は、著書で次のように述べています。

 ――ぼくはそんなつもりはなかったのですが、『アンパンマンのマーチ』が弟に捧げられたものと指摘する人もいます。それだけ、弟と最後の言葉を交わした記憶が深く残っていたのでしょう。

 (やなせたかし著『ぼくは戦争は大きらい』小学館、2013年)

 ここから考えると、『テレビでやなせ先生が言っていた』は怪しいと言わざるをえません。

 弟さんについて話した映像はあるのかもしれませんが、歌詞との直接的な関係は先生自身が『そんなつもりはなかった』と明確に否定しているわけです」

 もっとも、やなせ氏が無意識に作ったという説までは否定できないだろうという。

「弟さんの死がやなせ先生に大きな影響を与えたと考えることには同意しますし、何らかの影響を歌詞にも与えている可能性はあると思います。実際、弟さんの死や戦争体験を抜きにして、やなせ先生の創作活動は語れないとさえ考えます。

 戦中/戦後で軍隊が正義の英雄から悪者に変わり何が正しいのか分からなくなったけれど、飢えた人に食べ物をあげるのはいつだって正しいという実体験がアンパンマンに投影されているのは有名な話です」

 そうはいっても、だから「アンパンマンのマーチ」は特攻隊の歌だと決めつける物言いには同意できないと物江氏は語る。

「やなせ先生は過去に『曲が送られてきて、メロディーを聞いているうちに詞ができちゃった』という発言もしています。

 創作活動全般や考え方に、弟さんの死の影響はあるかもしれないけれども、特攻隊員に向けての歌詞だというのは明らかに言い過ぎで、フェイクと言ってもいいのではないでしょうか。

 事実は小説より奇なりといいますが、往々にして、調べてみると平凡な結論になることも多いものです。現実がそうであるように、エモーショナルなストーリー、ドラマチックな展開なんてそうそう存在しません。

 細かく資料に当たれば当たるほど、見えてくる真相がネット上で見られるようなエモーショナルなものからは遠ざかり、身もふたもない話になる、というのは珍しくないのです」

私たちは「感動的なストーリー」のほうを好んで信じようとする

 問題は、人は「身もふたもない事実」を好まない、という点だと物江氏は指摘する。

 私たちは「感動的なストーリー」「エモーショナルなストーリー」「ショッキングな事実」のほうをついつい好んで見聞きして、信じようとする。

 そこにフェイクが生まれ、拡散される余地が生まれるというのだ。

「『アンパンマンのマーチ』特攻隊起源説に限らず、フェイクニュースのなかには断片的な事実が含まれることが多く、それがあたかも客観性を与えているかのような錯覚をもたらします。

 一から十までウソの話はさすがに誰も信じないのですが、一部が本当だと、信憑性を増すわけです。アンパンマンのマーチの話でいえば、弟さんが特攻隊員だったという事実の強さは大きかったでしょう。

 一部を調べてみて、事実が含まれているからといって、その説やストーリーが事実だとは限らない――その視点を持たないと、自分自身がフェイクの拡散に一役買うことになってしまいかねません」

 スマホはその性質上、ユーザーが気に入る情報・コンテンツをSNSなどから次々送りこむことができる。どんなに偏った真偽不明の情報であっても、その人の「見たいもの」だけを与え続けてくれるということだ。フェイクニュースが生まれ、拡散されるのには最高の環境だろう。

 冒頭の数字の通り、賢くも危険すぎるこのスマホという武器を、今や国民のほとんどが生活必需品として使っている。ともすれば社会全体がフェイクの波にのまれかねないこの状況下、フェイクニュースの危険性に向き合うことはわたしたちひとりひとりにとって避けられない課題になる、と物江氏は同書で警鐘を鳴らしている。

デイリー新潮編集部

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