夕食で勧められた赤ワインに母常用の睡眠薬が混入… 両親の無理心中から逃れた娘が引っ越した先で見た夢は『無理心中の忌憶』 川奈まり子の怪異ルポ《百物語》

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両親の道連れに

 引っ越してきた当時、彼女は27歳で独身だった。

 生まれてこの方、都下の某市に父が建てた家で両親と同居していたのだが、長らく膠原病に悩まされてきた母と、癌を患っていることが発覚した父とが寝室で首吊り自殺による心中を遂げ、家に住みつづけることが苦痛になった。そこで勤務先に通勤しやすい賃貸物件を探したところ、問題のマンションに辿り着いた。

「もしかすると私は、その場所で亡くなった方たちの魂に呼ばれたのかもしれません」

 と彼女は言う。彼女によれば、両親は彼女を道連れにするつもりだったようなのだ。

「夕食のとき両親に勧められた飲んだ赤ワインに、母が常用していた睡眠薬が混入されていました。さらに、朝になって私が目を覚ましたとき、台所のガス栓が開いていたんです。父と母は、都市ガスの主成分が天然ガスで一酸化炭素を含んでいないことや、最近のガスメーターにはガス漏れが起きた際にガスを止める自動ガス遮断装置がついていることを知らなかったのでしょう。……私は睡眠薬のせいでいつもより深く眠っていたのだと思います。だから、両親が首を吊ったことに気がつかなかった……」

 マンションが建つ前の物件で起きた心中事件でも子どもが殺されかけ、香苗さんと同じように辛くも生き延びている。だから彼女は「呼ばれたのかも」と今となっては思うわけだが、約10年前のその時点では、そんなこととは露知らず、借りた部屋で暮らしはじめたのであった。

両親が出てくる夢は

 ところが、引っ越した初日の夜から、手斧か、もしくは鉈のような大きな刃物を持った黒い人影に追い回される夢に悩まされるようになってしまった。

 ――夢の舞台は、彼女が生まれ育ち、両親が命を絶った実家だった。

 夜、自分の部屋で寝ようとしていると、黒い煙が凝縮したかのような怪人がドアを開けて侵入してきて刃物で襲ってくるのだ。

 切りつけられて傷つき、血を流しながら逃げまどい、一階のトイレに立て籠もる。

 すると間もなく乱暴にトイレのドアが叩かれはじめて、「開けろ!」「開けなさい!」と死んだ両親が口々に怒鳴る声が聞こえてきた――

 毎朝、両手で耳を塞いだ格好で目を覚まし、起きてからも動悸がなかなか治まらなかった。また、ふつうの夢とは違って、起きてからも細かなところまで憶えていた。

 最初のうちは、両親の心中事件の影響で、こんな悪夢を見てしまうのだろうと考えていた。しかし、しばらくすると、夢の内容が変化してきた。途中までは同じなのだが、トイレのドアが破られるようになったのだ。

 さらに少し経つと、刃物で脳天を割られて倒れるようになった。そして、倒れ伏した次の瞬間、路上に立って、見たことのない建物を眺めているのである。

 二階建てだが、ふつうの民家ではない。道路に面した建物の前面に、シャッターが閉まった出入り口がある。そのシャッターの下から赤黒い液体がじわじわと流れ出てくる。大量の血液だ。ギョッとして見つめていたら、どこからか女の悲鳴が聞こえてきた……と思いきや、叫んでいるのは彼女自身で、実際に悲鳴を上げながら目が覚めるのだった。

 こんな夢を夜毎に見るので、独りで眠ることが恐ろしくなった。夢の内容が怖いばかりではなく、8月に両親の新盆を控えた7月だったということもあり、時季も悪いという気がした。

 無理心中から命からがら逃れた娘は、引っ越し先の新しいマンションで不思議な夢を見るようになる。【記事後編】では、彼女を救おうとする男性が現れるが…。

川奈まり子(かわな まりこ)
1967年東京生まれ。作家。怪異の体験者と場所を取材し、これまでに6,000件以上の怪異体験談を蒐集。怪談の語り部としても活動。『実話四谷怪談』(講談社)、『東京をんな語り』(角川ホラー文庫)、『八王子怪談』(竹書房怪談文庫)など著書多数。日本推理作家協会会員。怪異怪談研究会会員。2025年発売の近著は『最恐物件集 家怪』(集英社文庫8月刊/解説:神永学)、『怪談屋怪談2』(笠間書院7月刊)、『一〇八怪談 隠里』(竹書房怪談文庫6月刊)、『告白怪談 そこにいる。』(河出書房新社5月刊)、『京王沿線怪談』(共著:吉田悠軌/竹書房怪談文庫4月刊)

デイリー新潮編集部

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