28歳で結婚→2年で離婚、32歳で再婚→3年後にまた離婚…「女が嫌い」とやっと気づいた42歳夫の人格はどう形成されたか
【前後編の前編/後編を読む】“母は社長愛人だったの…”妻の悲痛な告白にも「ふふふ」と笑う42歳夫 それでも学んだ「これが愛かも」
不倫をした男性の取材を続けていると、「根っからの女好き」と「根っからの女嫌い」がいるとわかってくる。不倫した女性の場合は、そこまで大きく分かれないと感じていたが、最近は「男性への思いが複雑化している」女性も増えているようだ。
【後編を読む】“母は社長愛人だったの…”妻の悲痛な告白にも「ふふふ」と笑う42歳夫 それでも学んだ「これが愛かも」
「僕の場合は、たぶん女性が嫌いなんだと思う。ずっと女性への憧れが強いと思い込んでいましたが、実は嫌いなんだと。やっと認める気持ちになってきた」
秋川徹治さん(42歳・仮名=以下同)は、苦しそうな表情でそう言った。離婚すること2回、3度目の結婚をして3年が経過したところで、また揉めているという。3度目の結婚相手は、彼が独身時代につきあっていた既婚女性だというから、人間関係は複雑である。子ども時代から「なにやら複雑な人生を送ってきた」と彼は苦笑した。
「僕の両親は、ごく普通の結婚をしていたんですが、父には外に女性がいた。そちらには子どもが3人もいたんです。父は結婚という制度の中で僕をもうけ、制度外で3人の子がいたわけ。そのうち父は帰ってこなくなり、第二の家庭が第一の家庭になって、まるで僕らが結婚外の家庭みたいになった。母は頑として離婚に応じなかったみたいです。慰謝料と養育費をがっぽりもらって離婚したほうがいいと叔父が説得したけど、母には自分が正妻だというプライドがあったんでしょうね」
「わけがわからない」母
生活費だけは滞りなく振り込まれていたが、母は精神的に不安定になり、父に似てきた徹治さんをときどき邪険に扱った。彼を抱きしめてさめざめと泣いたかと思うと、急に「あっちに行け」と突き飛ばされたこともある。
「わけがわからないからなるべく近寄らないようにしていました。叔父が定期的に来てくれたのが唯一の救いだった。とはいえこの叔父も曲者で、ときどき母の財布からこっそりお金を抜いていた。僕は知っていたけど黙っていました」
大人はわけがわからない、信用できない。そう思いながら大きくなった。地元の公立高校に入学したとき、父に連絡をとって面会を求めたが「忙しくて会えない」と断られた。
「大学には行きたいから学費を出してほしい、僕はあなたの実子ですと電話で言ったら、合格したら連絡しろと言われました。母に、東京の大学へ行くつもりだと言ったら、母は『あんたがいなくなったら死んでやる』と。そのころ母はスナックのアルバイトをしながら、あちこちの男性を渡り歩いていたみたいですね。帰ってこないこともあったし、『~~の妻ですけど』と女性が家に乗り込んできたこともあった。僕はいっさいの感情を捨てて勉強しました。3年後、大学に受かったとき、父に学費と振り込み先を速達で伝えました。ついでに初期の生活費も寄越せと言ってやりました。父は学費を振り込み、僕にもいくばくかのお金をくれました」
東京へ発つ日の朝、彼が目を覚ますと階下から嬌声が聞こえた。母が男を引っ張り込んでいたのだ。情けなさが募った。男がいなければ生きていけない女を憎んだと彼は言う。
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