「馬鹿野郎!俺をなめやがって」…“世間への復讐”のためにバスに放火、6人を焼き殺した「38歳ホームレス」は、なぜ死刑を免れたのか 「新宿バス放火事件」から45年
4リットルのガソリン
中央下車口近くに立っていた22歳の女性は、後の公判で次のように証言した。
「開いたままの後部ドアから、青っぽいシャツを着た男が紙の束を投げ込み、その上に液状のものをバケツで撒きました。男の足はステップにかかっていなかったと思います」
男は、現場から立ち去ろうとするところを通行人に取り押さえられ、現行犯逮捕された。住所不定の建設作業員・丸山博文(当時38歳)だった。丸山は、火のついた新聞紙と4リットルのガソリンが入ったバケツを、後部座席めがけて投げ込んだのである。
まさに鬼畜の仕業としか思えない無差別放火殺人である。
野球のナイター見物の帰りだった40歳の父親と8歳の長男、通勤帰りの21歳のOLは、後部座席でまともにガソリンを浴び、火だるまになってその場で焼死した。他の3名も、病院に運ばれたものの重度のヤケドで敗血症を併発するなどして、数日から数ヶ月後に死亡し、この事件での死者は6名、重軽傷者は14名に及んだ。
小学4年生までしか学校に行かず
丸山の生い立ちは不遇である。
昭和17年、福岡県北九州市に5人兄弟の末っ子として生まれたが、2年後に母親を失い、消防士だった父親の男手一つで育てられた。
小学校4年までしか学校に行かず、その後は農家の手伝いや土木作業員として働き、昭和47年にバーホステスと結婚。長男が生まれたが、妻は育児を放棄して酒浸りになったため翌年離婚した。
ところが、元妻はまもなく統合失調症(当時の病名は、精神分裂病)を発症して入院。丸山は、生後まもない長男を施設に預けて大阪市内で土木作業員として働き、施設の息子に毎月7000円の送金を欠かさなかった。
この昭和48年の10月、丸山はアルコールの力を借りてアパートに住む若い女性の部屋に侵入して暴力をふるい、警察に逮捕されたが、その際に精神病院に医療保護入院をして精神分裂病(現在の病名は、統合失調症)の診断を下され、起訴を免れた経験がある。
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