貧しくて、冷蔵庫にはキャラメル1個…大ヒット「ひだまりの詩」歌う62歳の波乱万丈

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洋楽が好きに

――子役から演歌歌手に転向した経緯を教えてください。

 小学校高学年になると、父も働きに出ていましたけど、テレビの「ちびっこものまね大会」みたいなものに片っ端から応募していたんです。それを見た人から「演歌でデビューしませんか?」って話が来て、中1でデビューしました。

 当時は森昌子さんなど、若い演歌歌手がたくさん出てきた時代です。演歌は特別好きではなかったけど、子供の頃からレッスンで演歌も歌っていたので歌えるし、何より父に逆らえませんでした。

――演歌歌手は2年くらいでやめられています。その後、どうなったのでしょうか。

 演歌をやめてからは、結構洋楽が好きになりましたね。高校生の時に、知り合いのカントリー系のライブを何度も観に行くにつれ、「演歌の節回しはできるから、カントリーも歌えるんじゃない?」と、安易に思って(笑)。バンドを組んで小さなライブハウスに出ていました。

 高校を卒業後は会社勤めをしながら、夜はライブハウスへなんてこともありました。そのうちに新宿の老舗のカントリーライブハウス「ウィッシュボン」のハウスバンドの初代ヴォーカリストになって、(元夫でベーシストだった)隆二さんと出会いました。

――例えばどんなレパートリーがあったんですか。

 お店で人気があったのは「カントリー・ロード」「ジャンバラヤ」「コットン・フィールズ」などですが、その他、イーグルス、リンダ・ロンシュタット、ジャクソン・ブラウンなどの曲も歌っていました。オーソドックスなカントリーからロック寄りの曲まで幅広かったです。

――「カモミール」シリーズなどの楽曲は、カントリーの影響が大きいのでしょうか。

 影響はあると思います。最初は邦楽7割、洋楽3割で作ったのですが、レコード会社から「洋楽を増やしたほうがいいんじゃないか」と言われ、邦楽を却下して、洋楽カバーアルバムにしたのが「カモミール」の始まりです。

 ***

 第1回【「ひだまりの詩」が大ヒット 芸歴56年、今も歌い続ける62歳 学校訪問は15年以上】では、藤田が最新の活動状況を語っている。

藤田恵美(ふじた・えみ)
1963年、東京都清瀬市出身。幼少時から劇団に所属し芸能活動を続ける。1994年にLe Couple(ル・クプル)としてデビュー。1997年に「ひだまりの詩」が180万枚の売り上げを記録し、NHK紅白歌合戦に出場。2001年からソロプロジェクトを始動。アジア各国で洋楽カバーアルバムが「聴く薬」と呼ばれ45万枚の大ヒット。2012年にはリリー・フランキー氏の総合プロデュースによるオリジナルアルバム「花束と猫」で、日本レコード大賞「優秀アルバム賞」を受賞。2008年に愛知県の小学生と共につくった「OMOIYARIのうた」が全国の子どもたちに歌われ始め、2010年から全国を廻っている。

デイリー新潮編集部

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