広島駅に「まるでSF」な光景が… 路面電車に再脚光?令和の今だからこそのメリットとは

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富山市の試み

 昭和期に各地で建設された路面電車は長らく市民の足を担ったが、高度経済成長期からバブル期にかけてマイカー所有率の向上とともに姿を消した。そうした歴史をたどったこともあり、全国に残った路面電車は昭和の遺物とみなされるようになっていた。

 2000年頃から路面電車を再評価する声も関係者の間から出るようになっていたが、すでに社会はマイカーを中心にしたライフスタイルが定着していた。なにより都市もマイカーを前提にした構造へと変化しており、路面電車が入り込む余地はなくなっていた。

 マイカーを前提とする都市構造を前にして、2000年代から少しずつ路面電車を再評価する動きは富山県富山市がリードした。

 富山市は2002年から森雅志氏が市長に就任。森氏はコンパクトシティを打ち出す。すでに大都市圏でも人口減少・高齢化という社会問題が忍び寄り、富山市も人口減少による街の衰退という兆しが表れていた。

 地方都市はバブル期に地価が安く広大な敷地を確保しやすい郊外に大規模商業施設を次々と生み出していった。そうした郊外化により、駅前の中心市街地は衰退していく。

 郊外化は道路・上下水道・電気・通信といったインフラ整備・維持で非効率なため、行政には重い負担になる。これらの負担を抑制する目的もあり、自治体は率先して中心市街地の活性化に取り組み、何とか郊外化にブレーキをかけようとした。

 富山市の市長に就任した森氏は路面電車に着目し、それらを充実させることで中心市街地に活気と人出を取り戻そうとした。

 森氏が公共交通機関を充実させることで昭和の遺物と目されていた路面電車が再び脚光を浴びることになった。しかし、富山市のコンパクトシティという試みは成功しているとは言い難い。それでも脱マイカーの手段として路面電車が取り上げられるなど、路面電車を再評価される旗手になっていく。

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