借金1・7億円を抱えて“写真集”発売、重病、そして「くも膜下出血」で闘病12年…女優・佳那晃子の波乱万丈すぎる人生 夫・源高志さんが語る
2013年、現役女優として活躍する最中、突然のくも膜下出血で倒れ、入院、リハビリ生活を余儀なくされた女優の佳那晃子(69)。以来、表舞台から姿を消したままだ。その近況と12年半の苦境を、夫の放送作家・源高志さん(77)が明かした。【前編】に続き、【後編】では、病に至るまでの夫婦の波乱万丈の人生について、源さんの語りで明らかにする。1億7000万円の借金を背負った夫に妻がかけた言葉、そして、妻が取った大胆過ぎる行動とは。
【前後編の後編】
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2人の出会いは
2人が出会ったのは、1980年代後半。テレビ番組の仕事でのことだった。当時の佳那は映画『ザ・ウーマン』『魔界転生』『陽暉楼』、テレビドラマ『金曜日の妻たちへ』などに出演を果たし、バイプレーヤーながらその美貌と、時に大胆な妖艶演技で売れっ子となっていた。一方、源さんは『スター誕生!』『カックラキン大放送』などの人気番組の構成を手掛け、これもまた人気の放送作家であった。
源さんが振り返る。
「当時、渋谷にあったスタジオで、正月特番を作っていたんです。“特番だから豪華なメンバーを入れてくれ”と言ったら、プロデューサーが胸を張ってキャスティングしてきたのが、3人の女優とタレント。その一人が佳那晃子でした。当時、かみさんは映画やテレビによく出ていたんですが、私はそれらをあまり見ていなかったので、彼女のことを知らなかったんです。その打ち合わせが初めての出会いでした」
特番の視聴率が高く、番組はレギュラー化。古舘伊知郎やとんねるずも出演した。
「そんな事情でしばしば顔を合わせるようになり、収録の合間の時間に彼女とお茶をするようになった。そうこうしている間に、デートになり、付き合うようになっていったんです」
その頃、源さんには、妻と子がいたが、10年近くも別居中。実質的な破綻状態にあったが、子どもが高校生になるまでは籍を抜かないことにしていたという。
「そうした経緯で、結婚するまで3~4年かかった」
結婚は1990年。マスコミがそれを報じたのは、さらに1年経った後だった。
家ではジャージ
こうして始まった結婚生活。映画やテレビでは、「妖艶な」という形容詞で語られることが多かった佳那。素顔はどんな女性だったのか。
「一言で言うと、男っぽい人でした。女優業についても、“まだまだ売れまくろう”とかそういう欲はなかった。さばさばしていて、小さい役でも自分が気に入れば何でも受け入れる。食事を作るのも、早いけど、うまくない。さっと作って“ご飯!”と呼びに来る。ブランド物の趣味なんて一切なく、家ではジャージの上下で過ごしていたくらいです。外出する時も帽子をかぶってリュックを背負って出ていくので、気付かれることはほとんどありませんでした。お互いにお互いの空間を尊重していたので、喧嘩をすることはほとんどなかった」
結婚後も、夫婦の仕事は順調だった。
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