借金1・7億円を抱えて“写真集”発売、重病、そして「くも膜下出血」で闘病12年…女優・佳那晃子の波乱万丈すぎる人生 夫・源高志さんが語る

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巨額の借金

 その生活に暗い影が落ちはじめたのは、1991年頃のこと。当時、源さんは独立し、自身の事務所を立ち上げ、10名ほどの従業員を抱えるまで事業を拡大していた。

「そこに、ある芸能プロダクションの社長から、新たなメディアを立ち上げるというプロジェクトが持ち込まれて。こっちも羽振りが良かったものですから、そこに、事務所でもうかった金を2億円くらい突っ込んでしまっていたんですよね。そうしたら、その社長がお金を持って逃げてしまった。真相は不明ですが、初めから詐欺目的ではなかったと思う。そのプロジェクトには他からも資金が集まり、10億近い資金が貯まっていた。それを見て魔が差してしまったんだと思います」

 巨額の資金を失っただけに、源さんの事務所は一気に火の車となる。

「あちこちから借金を重ねることになった。次第に銀行も金を貸してくれなくなり、仕方なく悪い筋から借金せざるをえなくなった。結局、1年ちょっとで借金は3億から4億に広がっていきました」

 進退窮まった源さん。破産も考えたが、それを救ったのが以下の佳那の言葉だったという。

――右から左に金を借りて回していくのはやめよう。一旦、全部、表に出して整理しよう。

写真集の発売

「そこではじめて弁護士さんに相談することにした。すると、見事なもので、筋の悪い借金を法的に整理しはじめたら、悪質な貸主はみな、逃げてくれたんです」(源さん)

 残った金額は1億7000万円ほど。そこからは弁護士に金銭管理をすべて委託した。

「月にいくら稼ごうが、弁護士がこっちに戻してくれるのは生活費の35万円だけ。あとは稼ぎはすべて借金返済に使いました。当時、世田谷に持っていたマンションも売り、返済に回しました。それでも弁護士には“このペースで完済するのは10年かかりますよ”と言われました」

 夫婦は猛烈に働いた。

「私は週に4~5本、台本を書いた。そして、妻も映画やテレビの仕事だけでなく、写真集も出すことになりました」

 それは、衣服を身に付けない姿でのショットも入っていた。

「カメラマンが持ってきた話です。本人も嫌がっていましたが、最後は、それで返せるんなら一肌脱ぐわ、と。当時、写真集がブームでしたし、本人も映画で何度かそうした姿を披露している。そこで決意したようです。私は“悪いな”と言うだけしかできませんでした」

 借金苦の中、佳那は夫に何を思っていたのか。なぜ離婚という選択肢を取らなかったのか。

「怒ったことは一度もありませんでした。“馬鹿ねえ”とは言われましたけど……。インタビューに来た記者が、“離婚しないんですか”と聞いたら、“どうしてですか”と聞き返していたくらいです。“良い時も悪い時もあるのが夫婦だと思いますから”と。私にも、“悪いところから借りて右から左にするのではなくて、表に出しましょう”と。破産宣告の話もしましたが、それは嫌だ、とはっきりと言いました。で、“夫婦で返していきましょう”と」。

 10年後、夫婦は借金を完済した。

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