元祖“国民的美少女”八千草薫さんのあどけない素顔も… 今は亡き昭和の女優たちの「美しすぎる1枚」【写真】

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

スタアの在りし日の姿

 敗戦の傷跡残る1956年に創刊された「週刊新潮」は、原節子さん、八千草薫さんら、全盛期を迎えようとしていた日本映画で活躍する多くの女優たちで飾られている。

 彼女たちだけでなく、石原慎太郎、三島由紀夫、谷崎潤一郎など昭和を代表する作家はもちろん、早稲田実業時代の王貞治、立教大学時代の長嶋茂雄と、時代の「顔」も続々登場したわけだが、映画撮影の合間、旅先、あるいは自宅で…それぞれの場所で美しさを放っていたスタアの姿はとりわけ存在感があった。

 これらの写真をまとめた『週刊新潮が撮った 昭和の女優たち』の序文で、評論家・川本三郎氏は次のようにつづっている。

「昔の女優さんはなんてきれいだったんだろう。原節子から小林千登勢まで35人の女優さんたちの美しさにいまさらながら溜め息が出る。昭和33年(1958)は映画人口が11億2700万人(国民1人あたり年に12回から13回、映画館に足を運ぶ)とピークに達した。この前後が質量ともに日本映画の黄金時代である。そしてまさにこの時期に撮影された、黄金時代を支えた女優さんたちの写真である。皆さん輝いている」

 在りし日の美貌を再び――(以下、『週刊新潮が撮った 昭和の女優たち』より抜粋・引用)。

八千草薫さん

 宝塚歌劇団在団中に「宝塚夫人」で映画デビュー後、「蝶々夫人」でヒロインを演じ、TVドラマや舞台でも活躍。元祖・国民的美少女とでもいうべき存在だった八千草薫さん。

 外出前の女優を自宅で撮影する「お出かけ」と題した連載グラビアに登場し、「このあいだ10日も入院しちゃって。今『殉愛』の撮影にかかっています」と語っていた。

朝丘雪路さん

 宝塚歌劇団出身で、「ジャズ娘乾杯!」で映画デビュー後、TV番組「11PM」アシスタントで人気を集めた朝丘雪路さん。日本舞踊では後に深水流家元にもなった。

 写真は、アメリカNBCの当時の人気番組「ダイナ・ショア・ショー」に香港、台湾、フィリピンなどから集まるタレントの一人として出演が決まり、インタビューを受ける様子。「ジャズと日本の歌“藤娘”を踊ります」と語っていた。

扇千景さん

 宝塚歌劇団在団中に「快傑鷹 第一篇 蛟竜風雲の巻」で映画デビューした扇千景さん。写真は、舞台「風雪三十三年の夢」に、森繁久彌演じる宮崎滔天を口説く芸者役で出演した当時の姿。「明治時代の女のお色気ってほんとに難しくって」と語っていた。

 1958年、歌舞伎役者の二代目中村扇雀と結婚し一時休業するが復帰。1977年には参議院議員に初当選し、後に議長まで務めた。

次ページ:原節子さん

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。