「奇跡の回復がコロナ禍で帳消しに」 女優・佳那晃子 くも膜下出血から12年半 「入院費が支払えず、生活保護を勧められ…」 夫・源高志さんが明かす夫婦の今
2年半会えない
「私も面会に行けなくなったのはもちろん、リハビリの先生も入れないようになってしまった。看護士さんが病室に行くのも制限されました。中の様子がわからないようになってしまったんです。その間はボイスレコーダーにメッセージを吹き込んだり、ビデオを撮って友達にDVDに焼いてもらったりして病院の受付に届け、それをかみさんの前で流してもらっていました」
ようやく妻に面会できたのは、コロナ禍が始まって2年半ほど過ぎた頃だったという。再会した瞬間、驚いた。
「倒れて1~2年目の状態に落ちてしまっていた。名前を呼んでも、まばたきの動きくらいしか反応がなく、下までは伸ばすことが出来るようになっていた左腕も、胸の前で固まるようになってしまっていて…」
この7年は何だったのか。ただただ唖然とするばかりだったという。
経済的苦境
こうしてリハビリ生活が長きに亘る中、源さんは経済的な苦境にも苦しめられていた。佳那が倒れた際、源さんは既に65歳。佳那も57歳と、既にリタイアが近づいている時だった。冒頭に述べたように、夫妻はかつて借金に苦しみ、ようやく完済した身である。また、佳那がネフローゼに罹患した際には、多額の医療費を支払った。そもそも経済的な余裕がない中、入院生活が始まったのである。
「個室に入れていましたから、入院費やその他で月に35万円もかかりました。苦しくて一般病棟に移しましたが、それでも月に15~16万円はかかる。それ以外にも生活費が出ていくでしょう。一方で、収入は年金と、私が当時、行っていた大学や大学院の客員教授の講義だけ。月に4~5万円くらいですし、それも67歳で定年を迎えました。ですから、入院費はとても賄えるものではありませんでした」
佳那が倒れた当時、夫婦は熱海に新居を建設中。市内のアパートに仮住まいをしていた。が、当然の出費に、新居の建設を諦め、土地を売却した。
「熱海の市役所に状況を相談したら、市営住宅への入居を勧められました。そして “このままでは入院生活は維持できないから、生活保護を受けなさい”とアドバイスをもらったんです。もちろん葛藤がありました。半年くらいは悩みましたかね。が、入院が続くうちに、このままではとても生活が持たないのがわかってきた。苦衷の決断ですが、生活保護を申請することにしました。以後は医療費が無料になり、家賃は住宅補助で賄っている。月8~9万円出る生活扶助金で、日々の暮らしを回しています。それでも家計はギチギチ。車も手放し、外食するのも月に2~3回程度。大体は友達のおごりです」
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