連続幼女誘拐殺人事件「宮崎勤」を追い詰めた“執念の捜査”…シリアルキラーの車から見つかった「決定的な証拠」とは

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猛暑の中で…

 8月10日。西多摩郡で飲食店を経営していた男性は、朝から異様な光景を目の当たりにする。吉野街道わきの杉林に十数人の男たちが現れた。警視庁捜査第一課員だった。同街道から1.5メートルほど入った山を越え、うっそうとした木が生い茂る山林の大木のそばに、頭髪をむしられたDちゃんの頭部があった。宮崎死刑囚の自供通り、未発見のDちゃんの遺体の一部を発見した瞬間だった。

 昭和最後の年、埼玉県入間市のAちゃんが姿を消した63年8月22日からおよそ1年後の平成元年8月11日、宮崎死刑囚はDちゃん事件の容疑者として警視庁によって逮捕された。その後、Aちゃん、Bちゃん、Cちゃん事件も全て自供。「今田勇子」名で犯行声明を送ったことも認めた。9月1日、警察庁は一連の事件を、特別捜査を行う広域重要事件として「警察庁指定第117号事件」に指定した。

 最初に遺体で発見されたCちゃんの服を脱がせ、後ろ手に縛って遺棄したことについて、宮崎死刑囚はこんな供述をしている。

「生き返られると困るので遺体を縛り、化けて出ては困るので衣類を四方にすてた」

 後の法廷でも「ネズミ人間が出てきた」などと意味不明の供述を行い、本人とは別人格が犯行を重ねたとする「多重人格」が争点になることもあった。だが、捜査段階での調べでは聞かれたことに素直に応じ、終始、落ち着いていたという。だが、

「トイレや入浴時に、他人に自分の下腹部を絶対に見せないなど、羞恥心が強い一方で、女性の下腹部などに対する関心は人一倍強い。幼女を誘拐した主目的が、わいせつ目的であることを本人の口から語らせるのに時間はかかった」(当時の警視庁捜査員)

 女性は好きで興味はある。でも成人女性は接しにくい。幼女なら言う事を聞く。さらに殺してしまえば(死体は)完全に自由になる――詳細は省くが、宮崎死刑囚の犯行態様は異常という言葉だけでは片づけられない内容だった。この事件の余波で「オタク」「ロリコン」「(死体解体などの)ホラービデオ」が社会問題化した。

 昭和から平成へ、時代が変わる時期に起きた凶悪事件……最後に、当初から一貫して捜査に従事した埼玉県警捜査員の述懐を紹介したい。

「いくつもの死体を見慣れている捜査一課の捜査員が、被害者の遺体写真を見て長時間、号泣した姿を忘れることはない。あの酷暑の中、被害者の遺体を一刻も早く見つけ出し、遺族のもとへ帰そうと捜査に従事した埼玉県警、警視庁の捜査員の努力は凄まじいものがあった」

【第1回は「『女の子がひとりでいるのを見た瞬間、今なら“盗める”と思った』 幼女4人の命を奪った『宮崎勤』が被害者宅に送りつけた『遺骨入りの段ボール箱』」埼玉県で相次いで幼女が行方不明に。そして被害者宅に……

デイリー新潮編集部

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