「ゆっくり振られる手が見えた」生存者を発見した消防団員、マスコミの殺到を予測した球団社長夫人…「日航機事故」関係者と遺族の“長い一日”
父の旅行日程を見て愕然
外国人の遺族がすべて、日航からの国際電話で悲報を知らされたわけではない。息子を失ったアメリカの61歳女性は、カリフォルニア州ロサンゼルスの自宅で、国務省からの電話を受けている。
「夕食を食べている時、突然、電話が鳴り、“息子さんの名前が日本での飛行機事故の乗客名簿に載っていることをご存じですか”と聞かれました。驚いて、“全然、知りません”と答え、テレビをつけたら、その事故のことを詳しく報道していました。そして、息子が本当に亡くなったということが、初めてわかったのです。息子は早稲田大学に1年間留学したことがあり、日本の大学で東洋文化を専攻、修士課程を終えるところでした」
また、コロラド州デンバーに住む22歳男性は、12日の朝、3歳下の妹に起こされた。
「テレビを見ていた妹が、日本で航空機が墜落して500人もの人が死亡したというニュースを聞き、僕の寝室にやってきたんです。2人で父の旅行日程を見たんですが、その飛行機のフライトナンバーを見た時は、本当に信じられませんでした。それから母と妹と3人で24時間ニュースを放送しているCNNにじっと見入っていました。父が別便に乗り換えていることを祈りながら」
予定便をキャンセルして一つ早い便に
西ドイツでは12日の夕方6時ごろ(日本時問13日午前2時)、1人の女性がラジオを聴いた友人から事故を知らされていた。
「私のボスが日本に行っていることを知っていたので不安に思い、日本人の友人(西ドイツ駐在中)に頼み、日本に国際電話をかけてもらいました。そして、すぐにボスの夫人に電話を入れました。これがおそらく彼女にとっての第一報だったと思います」
夫人は居間で赤ちゃんと遊んでいたところで、
「事故のことを伝えると、“主人は123便でなく、そのあとの最終便に乗る予定になっているから心配ないわ”と答えました。これは後からわかったことですが、ボスは予定の会議が早く終わったので、予定便をキャンセルして一つ早い便に乗ってしまっていたのです……」
もう駄目だと観念したのですよ
「どこからの連絡よりも早く、夫の死を予感した」――数ある遺族の中には、こんな独特の受け取り方をした人もいる。阪神電鉄専務兼阪神タイガースの球団社長だった中埜肇氏(当時)の妻トシさん(61)もそうした1人だった。
中埜氏はこの日、阪神電鉄関連の仕事があり、昼の全日空機で上京。運輸省に赴いたあと、日航機に乗り合わせた。子供は独立して、トシさんと2人暮らし。夫人は兵庫県の自宅で夫君の帰りを待っていた。
「夕方、6時前でしたでしょうか。主人が“今から搭乗する。7時40分ごろには帰れると思うから、食事の支度をしておいてくれ”と電話してきたのです。妙な胸騒ぎがしたのは、その7時40分ごろ、私が台所で食事の準備をしていた時でした。外でバタンと車のドアが閉まるような音かしたので、“ああ、主人が帰ってきたな”と思い、外を窺(うかが)ってみると、誰もいない。不吉な思いにかられてテレビをつけると、そこでしきりに流れていたのが“日航123便の機影が消えた”というテロップだったのですよ」
夫の搭乗機の便名を承知していたトシさんは、その瞬間「夫の死を確信」したという。
「飛行機の機影が消えたといえば、それはもう絶望と考えていい。私はその時点で、もう駄目だと観念したのですよ」
[3/4ページ]


