「日本人はタイを支持するんですか――」国境紛争の現地で感じた「カンボジア」の急成長とプライド

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 カンボジアとタイの国境地帯で起きた武力衝突は、数十人の死者と数万人規模の避難者を出す深刻な事態となった。対立の背景には、長年くすぶる領有権の問題だけでなく、近年埋まりつつあるという経済格差、そしてナショナリズムの高まりがあるという。現地にいた旅行作家の下川裕治氏がレポートする。

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 タイとカンボジアの国境紛争は、7月28日にマレーシアなどの仲介で、一応の停戦が成立した。しかしその後も小さな衝突は起き、緊張が続いている。

 国境情勢の悪化が表面化したのは5月下旬。その後、7月下旬にエスカレートしていった。

 しかし今年の2月の時点で、カンボジアのアンコールワットがあるシェムリアップでは、こんな話が飛び交っていた。

「まもなく国境が閉まる。病人は早くスリンの病院に行ったほうがいい」

 タイとカンボジアは800キロを超える国境で接している。通過できるポイントも多い。シェムリアップからタイ側のスリンまで車で5時間ほど。スリンの病院に通院しているカンボジア人は少なくなかった。その国境が閉まるという情報が流れた。

 この情報の根拠には、当時、国境周辺で起きたひとつのトラブルがあった。国境からタイ側数十メートルの地点に建つプラサート・タ・ムエン・トムというクメール寺院に、カンボジア軍が侵入。そこでカンボジア国歌を歌ったというものだ。これにタイ側が抗議したわけだが、偶発ではない、自国の意図的なナショナリズムのにおいにカンボジアの人は敏感に反応した。まるでその後の展開を予測するかのように。

プレアビヒア寺院をめぐる火種

 タイとカンボジアの国境問題は、1863年、フランスがカンボジアを植民地にした時代に遡る。その後、カンボジアは独立するが、タイとの国境は曖昧なまま残されてしまった。今回の係争地のひとつに、プレアビヒア寺院がある。崖の上にある寺院跡で、第2次大戦後はタイが実効支配していた。しかし独立後、カンボジアは自国の領土と主張し、国際司法裁判所に訴えた。結果、カンボジア領という判決が下され、それをタイは受け入れたが、火種は残ったままだった。

 1991年、筆者はこの遺跡をタイ側から訪ねている。入口でパスポートを提示し、拝観料を払うスタイルだった。長い石段をのぼった先に遺跡の中心があったが、周囲にはポル・ポト派といわれる兵士がいた。彼らは近くで獲ったイノシシの肉をタイ人に売っていた。

「ポル・ポト派は危ないが、皆で一緒に訪ねれば怖くない」

 遺跡に入る前、地元の人にそういわれた。

 2008年、この遺跡がカンボジアの世界遺産として登録された。タイは反発したが、その後、タイ側からこの遺跡に入ることは難しくなった。

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