美川憲一、『紅白』の風物詩となった小林幸子との“豪華衣装対決”は「宝石まで全部自前。私から仕掛けた」 90年代再ブレイク時の思い出を語り尽くす

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 2025年、歌手デビューから丸60年となった美川憲一。前回のインタビューでは、音楽ストリーミングサービス・Spotifyとカラオケでの最大人気曲「さそり座の女」や、平成初期での再ブレイクについて語ってもらった。今回はSpotifyの再生回数ランキング第2位から見ていくが、その前に再ブレイク時のリリース実績を振り返ってみよう。(全3回の第2回)

再ブレイク時は年間250日コンサートで「とにかく睡眠時間がなかった」

 例えば、1991年は、美川憲一の関連書籍が5冊に、トーク入りの企画CDが3枚、シングルに至っては新録音も含めて6枚発売と、同年末の紅白出場前の時点で、とんでもないレベルの“美川憲一ブーム”が起こっていたことがわかる。当時40代だった美川は、この忙しなさをどう乗り切ったのだろうか。

「ブームになったもんだから、なんでも出しちゃっている感じでしたね(笑)。当時は1年間365日のうち、250日くらいはコンサートがありました。だから、昼と夜の間など、休憩時間に布団を敷いて寝ていたくらいで、とにかく睡眠時間がなかったんです」

 しかし、そんな超多忙のさなかでも、アルバム『GOLDEN PARADISE』という名盤も発表している。本作は、「さそり座の女」をダンスビートで、「お金をちょうだい」をレゲエ調で、という風に、当時としてもかなり斬新なアレンジで初期ヒット曲を新たに解釈している。そのうえで、井上陽水「リバーサイドホテル」、竹内まりや「駅」、中島みゆき「かなしみ笑い」など美川の声にハマる楽曲をカバーするという力の入れようで、制作には服部克久や鈴木茂など錚々たる音楽家が参加。

 この年の前半、米米CLUBにカバーされた山本リンダやアニメ『ちびまる子ちゃん』に登場した西城秀樹など、昭和の大スターが音楽的にも再評価されていたので、その流れに便乗したのかもしれないが、決して手を抜いていないのが見事だ。

 ただ、その翌年に、女歌を得意とする美川と男勝りの水前寺清子が、『女と男』というデュエット・シングルをリリースしているのだが、当の美川は「忙しすぎたのか、まったく覚えていません(苦笑)」とのこと。

 とはいえ、

「水前寺さんはひとつ先輩ですけれど、仲がいいんです。歌番組だけじゃなく、プライベートでも交流させていただいて、何かある度に呼ばれたり呼んだりする仲なんですよ」

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