誘い文句は「コメが安く買える。一緒に行こう」…昭和最悪の性犯罪者「小平義雄」が10人の女性を毒牙にかけるまで
占領下で起きた異常犯罪
昭和21年8月17日午前11時ごろ、港区芝公園内の西向観音山で、枯れ木の伐採に来ていた作業員が雑木林の中で、衣類を着ていない女性の死体を発見した。通報を受けた愛宕警察署から捜査主任が現場に臨場、ただちに捜査第一課、鑑識課の出動を要請した。現場検証の結果、死体は20歳くらいの女性。死後、10日ほど経過していると推定された。首に細く引き裂いた布が巻き付いていたことから、暴行の上、殺害されたものと断定し、即日、愛宕署に特別捜査本部が設置された。
時は占領下。当時の警察には満足な捜査経験もなければ、装備資機材も乏しいものだった。昭和21年には日本国憲法が公布。それにあわせて23年3月に警察法も改正され、国家地方警察と自治体警察に分かれると共に、同年7月には改正刑事訴訟法も公布された。被疑者や被告人の人権保障を基本理念として、自白の証拠能力及び証明力の制限、強制捜査は裁判官の令状を得て行う、被疑者及び被告人の供述拒否権などを認めることになった。
この事件が起きた時は、そうした戦後の刑事司法制度の改変が行われる間の時期だった。とはいえ、体制がどうであろうと、刑事たちがやることは同じだ。うら若き女性が暴力を受け、殺されて遺棄される――こんな鬼畜を野放しにしておくわけにはいかない……。
まず、捜査は被害者の身元確認に重点がおかれた。警視庁管内各署に、死亡指定日時と思われる8月6~7日前後に所在不明となっている同年代の女性の調査を指示。さらに、被害者の着衣の行方を追うために、詳細な周辺の捜索を行ったところ、発見された遺体から10メートルほど離れた場所で、白骨化した遺体が発見された。この遺体は、以下のような衣類を身に着けていたことから、若い女性と推定された。
〈大体十七八歳と推定され、白の半袖ブラウスを着 黄色地に暗青色の三本線のつりスカート〉(朝日新聞 昭和21年8月22日付紙面より)
一方、各署に手配した所在不明者捜査の結果、7人の所在不明女性がいることが判明した。さらに遺体発見2日後の19日、新聞報道で事件を知った女性が捜査本部を訪れた。目黒区の喫茶店で働いている娘(17)が8月6日に出かけたまま、自宅に戻らないので警視庁防犯課に届けを出してあるという。
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