「渋幕」から「慶大」に進学した銀盤の才媛「高橋成美」…なぜ平昌五輪の閉幕直後に“引退”を決めたのか

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補欠として練習を続けた平昌五輪

 大会後には「さらに実力を磨いて4年後に備えよう」と話していた高橋・木原ペアだったが、2015年3月にペアの解消を発表。その年の7月に組んだアレクサンドル・ザボエフ選手とのペアも、ザボエブ選手の資金面の問題で早々に解散。2016年5月に柴田嶺選手とペアを組み、平昌五輪の出場を目指したが……。

 全日本選手権(2017年12月)で須崎海羽・木原龍一ペアの後塵を拝して本戦出場はならず。補欠として大会を迎えることが決まった。

「大会の結果を受けて、脳裏をよぎったのは“引退”の2文字でした。大会の後には悔しい気持ちを抱えつつも、今後の人生について考える機会が自ずと増えていましね。ただ、補欠として代表メンバーに選んでいただいていて、万が一不測の事態が起きた時に備えて、準備を続けていかなければいけない立場に置かれていましたから、『開会式を迎えるまでは気持ちを切らさないように』と、これまで通りの練習を続けていました」

 しかし、高橋氏に五輪出場の機会は訪れず。無事に大会に臨む選手たちの背中を見届けると、これまでに経験したことがない虚無感と対峙することとなった。

引退はスケートから卒業したような気持ちだった

「ふとした時に、自分が出ることを目指していた五輪の情報が流れてくるんですけど、どうしても五輪の演技や結果を見る気持ちにはなれなくて、辛い時間を過ごしました」

 高橋氏は4月の大学復学までに期間を定め、何もしない穏やかな時間を過ごしながら、自分の今後の人生について熟考を重ねた。その後、平昌五輪が閉幕した2018年3月に自身の引退を決断。引退届を提出した時には、「スケートから卒業したような清々しい気持ちに切り替わっていた」という。

「私が引退を決めたタイミングで、私をサポートしてくださった企業にご挨拶にお伺いする機会があったんですけど、その時に会社の社長が『高橋さんはスケートを卒業し、これから次の道を歩むわけだから、“お疲れ様”じゃなくて“おめでとう”だよね』と声をかけてくださって。その沁みる言葉に背中を押されたような気持ちになりました」

 高橋氏は、引退から2年後の2020年3月に慶應大学を卒業。スケートで培った経験や周囲への感謝の思いと共に、現在もタレントや日本オリンピアンズ協会(O A J)の理事として活躍を続けている。

第3回【1日11時間の猛勉強で「クイズ番組」に臨む元フィギュア日本代表「高橋成美」… 「悔しさから全てが始まると思っているんです」】では、平昌五輪終了後、現役引退をした高橋成美さんが、どのように気持ちを整理し、次の目標にむ向かって歩み始めたのか、そしてタレントとしての自身の在り方について語っている。

ライター・白鳥純一

デイリー新潮編集部

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