「渋幕」から「慶大」に進学した銀盤の才媛「高橋成美」…なぜ平昌五輪の閉幕直後に“引退”を決めたのか
五輪にさほどこだわりはなかった
「当初は五輪の出場にさほどこだわりはなかった」と話す高橋氏だが、2014年のソチ大会からフィギュアの団体戦の開催が決定。日本代表がメダル獲得を目指す中で、ペアで実績のある高橋氏に白羽の矢が立った。
「正直に言うと、当時はまだ気持ちの整理がついていなかったと思いますけど、『始めるなら今しかない』という絶好のタイミングだったので、思いを断ち切り、新たなスタートを切ることに決めました」
高橋氏は、現在も「りくりゅうペア」として活躍を続ける木原龍一選手と、2013年の1月にペアを結成。「ジュニア時代から交流があった」という木原選手と共に、1年後に迫った本番に向けて準備を進めることになった。
「実はペアを結成した当初は、五輪をそこまで強く意識していませんでした。本番までの時間が限られるなか、実力もコンディションの面でもギリギリの状況で競技と向き合っていたので、先々の目標よりも『とにかく毎日少しずつ前に進まないといけない』という必死の思いで過ごしていました」
ペアに転向したての木原選手は種目に合った身体作りを続けながら、手術明けの高橋氏はハーネスで肩を固定しながらの状況だったという。
「もし私の怪我が再発したら、全てが水の泡になってしまうので、『自分たちだけの身体ではない』という責任感を持ちつつ、『1日たりとも無駄にできない』という思いで過ごしていました」
ソチ五輪で学ぶことは多かった
その後、高橋・木原ペアは、五輪イヤーとなる2013-2014年シーズン序盤に、本大会の最終予選を兼ねたネーベルホルン杯(2013年9月・ドイツ)に出場。残り4枠の本戦出場権を懸けて大会に臨んだものの、結果は総合11位、出場枠を争うペアの中では5位に沈み、自力で個人戦の五輪出場権を手にすることはできなかった。
だが、後に高橋氏とペアを組むエストニア代表選手の国籍の申請が間に合わず、同国が出場枠を返上。補欠の最上位だった高橋・木原組が繰り上がり、当初予定していた団体戦に加えて、ペア個人種目でも大会出場を決めた。
高橋氏が薄氷を踏む思いで出場権を手にしたソチ五輪は、ペア個人戦でSP18位。メダル獲得が期待された団体戦ではSP8位、FS5位の成績に終わり、日本代表チームは総合5位に。羽生結弦選手、浅田真央選手らを擁しながら、メダル獲得はならなかった。
※(「なお羽生結弦選手は、男子個人シングルで金メダルを獲得している」)
「今振り返ってみると、五輪を経験できてよかったと思いますし、後から学ぶことが多かった大会でした」
ソチ五輪をそう振り返る高橋氏は、こう続けた。
「本番の演技を終えた直後は、自分たちの実力不足を痛感せずにはいられませんでした。力のあるメンバーが揃う代表チームの中で、自分たちは全く力になれなかった。その現実を目の当たりした悔しさや、『出場してみたものの、果たして何を成し遂げられたんだろう?』という虚しさをどうすれば乗り越えられるのか。その答えを必死に探す4年間が始まりました」
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