ソチ五輪代表「高橋成美」が語る“文武両道” 偏差値74「渋谷幕張高校」の合格を勝ち取った“最大の理由”とは

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深夜のスケートリンクで練習に励んだ

 高橋氏が入学した渋谷幕張高校は、偏差値74(みんなの高校情報より)を誇る千葉県屈指の難関進学校として知られている。卓越した進学実績もさることながら、自らの手で調べ、自らの頭で考える「自調自考」を掲げる自由な校風が特徴的で、留学生の受け入れも盛んだ。

「可愛らしいデザインの制服も好きでしたし、クラスには留学生や帰国子女の同級生も多く在籍していて、私にとっては過ごしやすい環境だったと思います」と充実した高校生活を振り返るが、学業とフィギュアスケートの両立は困難を極めた。

 学校の授業を終えると、稲毛海岸にあるスケートリンクに向かい、個人の練習に取り組んだ後に一時帰宅。数時間の仮眠を取った後、夜中12時頃に再びリンクに現れ、誰もいないリンクでペアの練習に励む日々が続いた。

「これからどうやって世界を目指せばいいんだろう?」

 思うような練習が積めずに不安を抱えた高橋氏は、カナダ人のリチャード・ゴーティエコーチと相談を重ね、短期の留学を経て、高校2年の時にカナダのモントリオールに渡る決断を下した。

マーヴィン・トラン選手の覚悟に心を動かされた

「年齢も近くて、息もぴったり。そして『日本代表の誇りを持って演技をしたい』と言ってくれたことが何よりもありがたかったです」

 拠点を移した高橋氏は、間も無く現地でカナダ国籍のマーヴィン・トラン選手と出会い、ペアとして活動することに。

「トランは『君を絶対に守るよ』と口に出して言ってくれるんです。思っていてもなかなか言葉には出せない思いを伝えてくれた彼の覚悟に心を動かされて、揺るぎない信頼関係に変わりました」

 2010-2011シーズンには、日本人ペアとしては初のジュニアグランプリファイナル優勝。シニア大会のNHK杯でも3位、世界選手権への出場も果たした。

 そしてシニアに転向した2011-2012シーズンには、日本のペアとしては初のISUグランプリファイナルにも出場。世界選手権で3位となり、日本チームとしては初のメダルを獲得するなど、一躍注目を集めたが……。トラン選手の日本国籍取得が難航したことや、高橋氏の怪我の影響もあり、2012年にペア解消を発表。ソチ五輪が2年後に迫る中で、高橋氏は選手生活の岐路に立たされた(第2回に続く)。

 第2回【渋幕」から「慶大」に進学した銀盤の才媛「高橋成美」…なぜ平昌五輪の閉幕直後に“引退”を決めたのか】では、ソチ五輪出場までの紆余曲折、結果から学んだ大切なこと、そして引退を決意するに至る経緯を語っている。

ライター・白鳥純一

デイリー新潮編集部

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