ソチ五輪代表「高橋成美」が語る“文武両道” 偏差値74「渋谷幕張高校」の合格を勝ち取った“最大の理由”とは
自分だけが特別扱いをされている悔しさはあった
スケートが盛んな東北地方を中心に、中国全土から選抜された選手たちと過ごした日々は、高橋氏の人生観に大きな影響を及ぼした。
「中国のトップ選手たちは、スケートに全てを捧げていて、競技の収入で家族を養っているケースも珍しくありませんし、命懸けで打ち込む彼らの必死さに驚かされたことも度々ありました。“外国人”扱いの私は、その競争に巻き込まれることはありませんでしたが、自分だけが特別な扱いを受けていることにどこか悔しさも感じていて。リンクに立っている時は、みんなと同じ気持ちで競技に向き合うように心がけていました」
真摯にスケートと向き合った高橋氏は、2004-2005シーズンに、中国人のコウ・ウ(高瑀)選手とペアを結成し、中国選手権で6位に。上位5組はいずれも歴代のメダリストという高レベルな大会で存在感を示し、シニアのトップ選手とも互角に戦える可能性を示した。
ペアは“危険な種目”だと思われていた
中国で順調に成績を伸ばした高橋氏だが、受験などの進路についても考えるようになる中学2年生の冬に、大きな転機が訪れる。
「もしこれからも中国でスケートを続けるつもりなら、国籍を変えてもらわないといけない」と中国のスケート連盟の方に言われてしまって。色々と悩みましたが、「さすがに国籍は変えられないな……」という結論を下し、日本に帰ってくることにしたんです。
今でこそ「りくりゅうペア」(三浦璃来選手・木原龍一選手ペア)が注目を集めているが、当時の日本では選手もまだまだ少なく、競技自体の認知度も低かったという。
「『氷の上で女の子を投げるの? 無理だよ……』と言われてしまったり、“危険な種目”と思われているせいで練習場所が限られることもあって、とにかく苦労が絶えませんでした」
帰国後はコーチの紹介により、宮城県で活動する山田孔明選手とペア結成に至るも、生活圏の異なる2人の練習時間は限られた。
渋谷幕張合格を掴んだスケートへの思い
日本で先の見えない日々を過ごしていた高橋氏の希望になったのが、中学3年生の秋頃に父が口にした何気ない一言だった。
「渋谷幕張高校は、本当に入るのが難しいんだってね……」
その一言に反応した高橋氏は、偏差値などの情報も知らないまま「もし渋谷幕張に受かったら、ペアスケートの強豪国に行ってもいいかな?」と父に尋ねて了承を取り付けると、俄然やる気に。苦手な関数の勉強にも必死に励んだ高橋氏は、やがて入試の本番を迎えた。
本番の入試では、得意とする図形の証明問題で得点を重ね、「将来は社会にとって役立つ人材になりたい」と熱弁を振るった小論文や面接でも存在感を示し、見事に合格を勝ち取った。
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