ソチ五輪代表「高橋成美」が語る“文武両道” 偏差値74「渋谷幕張高校」の合格を勝ち取った“最大の理由”とは

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 フィギュアスケーターペアの元日本代表で、2014年のソチ五輪に出場した高橋成美(たかはしなるみ=33=)氏は、競技生活を続けながらも難関校の渋谷教育学園幕張高校(以下、渋谷幕張)を経て、慶應大学に進学した才女として知られる。引退後は解説者やタレントとしての活躍を続けながら、日本オリンピアンズ協会の理事も務める高橋成美氏に、学生時代の勉強法について伺った。(全3回のうち第1回)

スケートとの出会いは物心がついた瞬間

 高橋成美氏とフィギュアスケートの出会いは、彼女が「毎日のように男の子たちと一緒に走り回る日々を過ごしていた」3歳の時。小児喘息の緩和策として医師に勧められたことや、2歳上の姉がスケート教室に通っていたことも大きな後押しとなった。

「幼い頃のことはあまり覚えていませんが、初めてスケート靴を履いて、氷の上に恐る恐る立った瞬間や、滑り出した時のワクワク感は今でも鮮明に記憶が残っていて。今となっては、この時が『私の“物心がついた瞬間”だったのかな』と思っています」

 フィギュアスケートの楽しさに気付かされた高橋氏は、その後も熱心にスケートを続け、8歳の時で5種類の3回転ジャンプを跳ぶほどの選手に成長。2002年には全日本ノービス選手権Bクラス(9~10歳)で3位の成績を収めた。

 その一方で、両親からの「勉強は出来なくてもいいけれど、成績の悪い子はスケートには通わせられない」というプレッシャーを背に受けながら、高橋氏は学業にも力を注いだ。

 9歳の時には、星新一氏の作品との出会いによって読書の習慣が身に付き、小説の世界にも魅了されていったという。

「天才だと思った」浅田真央選手の滑り

 文武両道を貫いてきた高橋氏が小学4年生の時、父の仕事の都合により一家は中国の北京に渡ることに。新たな生活の始まりと時を同じくして、高橋氏もシングルからペア競技への転向を決断した。

「日本で過ごしていた頃、2歳上の浅田真央さんの演技を見たんですけど、浅田選手の才能溢れる滑りを見た時に『到底敵う相手じゃなさそうだな……』と感じまして。当時はペア競技において世界屈指のレベルにあった中国人選手の演技に魅了されたこともあって、ペアへの挑戦を決めました」

 高橋氏は北京の日本人学校に通いながらも、中国の有望な若手選手も活動する市内のリンクに出向き、実力を磨いた。

「中国人の先生やスケーターと一緒に練習させてもらっていたので、少しでも多くの情報を吸収し、上手に滑れるようになりたかった」という思いから、中国語も習得した。

インターナショナルスクールで学んだ英語よりも大切なこと

 小学校5年生の時に初の国際大会に臨み、英国選手のパフォーマンスに驚かされると、「英語を勉強しなければ……」と思い立ち、インターナショナルスクールへの転校を決意。語学力に磨きをかけた。

「学校では英語も身に付けられましたが、日頃から『アウトプットのためにインプットをするんだよ!』と口酸っぱく言われたことが印象に残っていて、その思考や教えが後の人生でも役に立ったように思います。」

 なお、この頃の高橋氏は数学が得意で、学校の代表として数学オリンピックに出場するほどの実力だったそう。

「スケートに関係のある数学や物理は得意でした」と自信を覗かせたが、社会科目は今でも苦手とのこと。「(クイズ番組で不正解に終わった)『平家物語』も、本は持っていますけど、なかなか頭に入ってこなくて……。歴史は今でも少し苦手意識がありますね(苦笑)」と本音を漏らした。

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