ハワイで谷村新司から「3人で一緒にやらないか?」 ドラマー・矢沢透が振り返る「アリス」誕生の瞬間

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 夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さん。これまでの取材データから、俳優、歌手、タレント、芸人……第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第28回はアリスのドラマー、矢沢透さんです。フロントマンの二人(谷村・堀内)をしっかり支えるリズムの要。その根幹はどこにあるのでしょうか。

圧倒的な迫力

 アリスのヒット曲「チャンピオン」や「冬の稲妻」といえば、すぐに歌詞が浮かんでくる名曲だが、アレンジ面において、なくてはならないものは何かと訊かれたら、個人的に矢沢透のドラムと答えたい。

 あの躍動感のあるドラムビートがないと、「チャンピオン」にも「冬の稲妻」にもならないだろう。谷村新司と堀内孝雄の後ろで、髪を振り乱してドラムを叩いているわけでもないのに、矢沢は圧倒的な迫力で曲全体を支配している気がする。

 あの激しさは快感でもある。生まれ変わって音楽をやるなら、ドラマーがいいなと思う。

 チンペイこと谷村が亡くなったのは23年10月(享年74)。アリスは、キンちゃんこと矢沢透(76)と、ベーヤンこと堀内孝雄(75)の2人になった。

 矢沢には折あるごとにインタビューしている。取材場所の多くは、矢沢自身が1984年から六本木で始めた串焼きの店「阿雅左(あがさ)」だった。

 最初は「おふくろメシ」がテーマ。駆け落ち同然で結婚した両親が別居することになり、矢沢と兄は母親の女手ひとつで育てられた。よく作ってもらったのはなすの油炒め。高校時代はこれでごはん4杯、味噌汁6杯食べたこともあった。

「涙と笑いの酒人生」をテーマにした時の写真は、矢沢がカウンターでお猪口を持つ姿だった。ベーヤンは下戸、チンペイはあまり飲まないので、宴会担当はもっぱらキンちゃんだったそうだ。

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