危うく未収録になりそうだった名曲…80万枚超ヒット「どうぞこのまま」 丸山圭子が貫いた“これは絶対”の想い

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第1回【不朽の名曲の誕生前 丸井でギターを買い、ラジオで歌って“修業”した丸山圭子の原点】のつづき

 丸山圭子(71)がキングレコードに移籍して最初に出した1976年のアルバム「黄昏めもりい」には、「どうぞこのまま」が収録されている。アルバム発売から4カ月後の7月5日にシングルカットされた楽曲だが、当初はアルバム収録が見送られそうになったという。丸山自身が「絶対に入れてください」と懇願して収録にこぎつけ、それが後の大ヒットにつながった。

(全2回の第2回)

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テイク35でようやく完成した名曲

「どうぞこのまま」はアルバムのレコーディング中に生まれた楽曲だった。だが、ボサノバ調の曲はアルバムの他の楽曲と雰囲気が異なっていたため、キングレコードのプロデューサーはアルバムに収めることに難色を示した。

「『次のアルバムにしたら?』といわれました。でも『絶対に入れてください』『聴いてもらいたい』と言いました。シングルにするつもりだったわけではないですが、どうしてもたくさんの人に聴いてもらいたいという熱い気持ちがありました。作っているときも、ものすごい短い時間で思いが凝縮してできた曲で、自分に“降ってきた”感じがありました」

 たしかに、フォークや、後にシティポップと呼ばれるような曲が混在するアルバムの中で、この曲は確かに異質ではある。子どもの頃から「ラ・バンバ」や「イパネマの娘」などラテン系の音楽に親しんできた素地があったからこそ、浮かんできたのかもしれない。ただし歌入れは難航し、35回のテイクを要した。

「もう難しすぎて。自分の曲を書くときはあんまり歌入れのことを考えないで、すぐにハードルを上げちゃうものだから(苦笑)。こういうふうに歌いたいという理想はあるんですが、それに歌唱力が追いついていなかったというか……。もうダメだと諦めかけていた最後のテイクでようやくOKが出たんです。もともとラテンのボサノバは難しいところもあるし、多分、最初は堅い感じで歌っていたんでしょうね」

多くのアーティストがカバー

 結果的に、シングルカットされた「どうぞこのまま」は80万枚を超える大ヒットとなる。多くのアーティストにもカバーされた。高田みづえの「あの日に帰りたい」(1983年)、香坂みゆきの「Cantos 1」(1991年)、研ナオコ「Ago あの頃へラブレター」(1993年)、松山千春「再生」(2006年)、岩崎宏美「Dear Friends III」(同)、八代亜紀「激唱-流行歌IV」(2017年)、由紀さおり「カバーBOX70」(2021年)、林部智史「カタリベ~愛のエクラン」(2024年)といったカバーアルバムなどで取り上げられたほか、シングルとしては1991年に川越美和が、2012年にはジュディ・オングがカバーしている。

「カバーされるのはめちゃめちゃ嬉しいんです。私はもともと本が好きなんですが、本って読み終えても何年か経って読み返したり、ずっと長く自分に影響したりしてきますよね。音楽もそういうスタンダードのようにして、時を経ても変わらずに聴いてもらいたいなと思っていたら、デビュー初期の曲がそうなってくれたんです」

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