「解決できる事件を警察内部の人間が潰してしまった」…発生から30年「ナンペイ事件」を追い続けた捜査員が問う“警察の本分”

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再逮捕されることなく「釈放」

 とはいえ、旅券法違反容疑が勾留満期を迎え、拘束できる期限が終わっても、Kが関与した日中混成強盗での再逮捕案件がいくつか用意されている。東京・葛飾や埼玉・熊谷での資産家宅を狙った事件などだ。他にも愛知や京都、長崎でも余罪の犯行が確認されている。八王子に関する供述を始めるまで再逮捕でつなぐ事案はいくつも準備されており、勾留を続けられる算段だった。じっくり取り調べるための時間は充分ある。東京地検も前向きで、葛飾の事件などでは、すでに共犯者の供述調書まで作成し、準備は万端だった。

 しかし、である。旅券法違反で起訴されたKは、訴追後も勾留により取り調べが続いていたが、否認続きというだけで、一向に良い話は聞こえてこない。Kの弁護士は、「これは別件の八王子の事件を調べることを目的とした違法で不当な拘留だ」と騒ぎ始めた。もっとも、これとて織り込み済みのはずである。日中混成強盗団による資産家を襲った凶悪な犯罪が暴かれれば、世論は抑え込めるにちがいない。

 にもかかわらず、長期拘留捜査への批判を跳ね返すための次の一手はなかなか繰り出される気配がない。そしてやがて飛び込んできたのは、目を疑う光景だった。2014年9月、東京地裁で懲役2年、執行猶予5年の有罪判決を言い渡されたKは、それだけで釈放。その間、事前の段取りにあったような再逮捕は一度もなされず、そのままカナダに帰国させてしまったのである。

「無理に自供させなくていい」という雰囲気

 一体、Kに対し、どういう取り調べが行われたのだろうか。相手は一筋縄ではいかない凶悪な中国人犯罪者だ。激しく厳しい追及一本やりだけでなく、おだてたり、なだめすかして気持ちをやわらげるのも肝要だ。遺族の心情を伝えて、良心の呵責に訴えるなど、あの手この手を繰り出さないといけない。

 日本では殺人事件は司法取引の対象外だが、場合によっては、これを巧くちらつかせる手もあるだろう。“まさか殺すとは思っていなかったんだろう。捜査に協力し、実行犯の名前さえウタえば、情報を取っただけのお前は3人強盗殺人の共謀共同正犯には問われず、ほう助での訴追にとどまるだろう”という主旨の甘言を弄し、“死刑は求刑されない”ものと受け止めさせるなど、司法取引めいた話を持ちかける駆け引きも必要となろう。

 果たして、Kに対峙した取調官はそれが充分にできうる資質を持つ最適任者だったのか。実際、可能な限り、調べをやり尽くしたと言えるのであろうか。甚だ疑問を禁じ得ない。端からやる気が感じられない取調官である。何の戦略も工夫もなく、ただ正面からストレートに質問をぶつけて、跳ね返されるだけに終わったのではなかったか――。

 それには、「無理に自供させなくていい」という特別捜査本部の雰囲気があった。取調官が、何とかしようとしても、それをバックアップする体制ができていなかった。

 その雰囲気に流され、取調官はナンペイ事件を追及しなかった。Kはそれに乗じて、「痔が痛い」と言い出して病院通いが始まった。

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